#46 ルアス北平野 [---]
posted by GEM at 2006年09月25日 00:38
ルアスの北方には広大な平野があり、そこは通称『ルアス北平野』と呼ばれている。ルアス城とその城下町を百以上並べても埋めることが出来ないほどの広さなのだが、ただ広さを競うだけならマイソシア一の座はマサイ領の大草原に譲る。
マサイの大草原は特に整地は行われていない為に自然のままの姿が手付かずになっており、今後も大規模な開拓が行われる予定はない――とはいえ、放牧による草原の砂漠化という問題を抱えているのだが――。
対してルアス北方の平野は、真ん中に立って四方を見渡してもほとんど何もない、いや大地の起伏すらもない完璧な平野となっている。
何もないとは言えぽつぽつと背の高い草程度は散見されるが、これらも月に一度から二度行われる管理作業で取り除かれる。
人工物がないわけではない。しかし立つ場所によっては地平線に阻まれて一つも見ることが出来ないほどの間隔で立てられている。もしもそれらの目の前に立てば腐食などに侵されている様子は全くなく、何らかの管理が適切に行われている事を物語っている。
当然のことながらここはルアス領であり、管理主体もルアスである。では、何の為にこのように管理されているのかといえば、この平野は騎士団及びルアス軍の演習場なのだ。正式名称もルアス北方軍事演習場である。演習において何らかの地形が必要な場合には土木作業や魔術などの力によって造成されることもある――人海戦術により半年ほどで町が再現されることもある。市街地戦の訓練なども行われているのだ――。
ルアスに近づけば関所や砦などもあるのだが、平野の真ん中に立ってそれらを見ようとしてもやはり遠く地平線の彼方であり視界に捉えることはない。
演習が行われていない時はこの平野に人が立ち入ることもほとんどないが、街道が横切っているため、昼間であれば街道を行き交う人々の姿は普通に目にすることが出来る。
今は使われていないルアスとレビアと結ぶ街道はともかく、サラセンやミルレスと結ぶ大街道は(演習の都合によって閉鎖されない限り)毎日多くの往来がある。時には数日から数十日間を掛けて町から町へ旅する隊商などが街道脇で夜を明かすことも珍しいことではない。野宿やキャンプを禁じられている区間がいくつかあり、そのような区間では人は通り過ぎるのみである。
日は既に沈み月や星は雲に隠れている為、地平線と闇の境界を認識することも出来ないほどの闇に包まれている。明かりがなければ闇に包まれるのは当たり前のことであり、それ自体は自然なことであるし、鼻を摘まれるのすら見えないというほどの極端な闇でもない。今夜は新月ではないし空を覆っている雲もそれほど分厚くないので目を凝らせば足元程度ならば見ることも出来る。
街中であっても住人の少ないところでは深夜には真っ暗になる。別段この平野の闇と比べてもそれほど変わりはない。だが、ここにただ一人で投げ出されれば余程慣れた者でなければ大なり小なり不安を覚えずにはいられない。
なぜならば、視界を遮るものが何もない広大な空間で闇の無機質さが際立っているのだ。
己が人であり意思を持った生き物であることを否定されるかのような完全な静寂と闇。『意思がないという意思の世界』に迷い込んだような不安感。自身のアイデンティティが全て溶け出して霧散してしまいそうな得体の知れない孤独感。
今宵の闇の質感はさらに輪を掛けて異様なものとなっている。
生温い風が臭いを運んでくる。それは生木や青草が焼けた臭い。それだけでも十分に異様なのだが、それだけではなかった。血と肉、贓物が発する臭い、そしてそれらが焼け焦げた臭い……。十秒も嗅がないうちに神経を焼き切りそうな程の気分の悪いものだ。
或いはそれは臭いの元となった何者かが嗅覚から直接本能と野性を刺激し、『ここは極めて危険である』と最大級の警鐘を発しているかのようですらある。
普段の演習が行われていない時、いくらそこに何もないと言おうと、いくらかの草木もあれば小動物や昆虫の類は普通に生息している。もしも今それらの鳴き声や草木が風に撫でられる音があれば、幾分か人の理性や感性、感情を人の世界につなぎとめておいてくれるかもしれない。
しかし小動物の気配すら全くなく、風が吹けば不快な死の気配のみを運んでくる。
特に気配に敏感でない普通の人であっても、この絶対的な孤独感の前では己と周囲の亡骸の運命を悲観せずにはいられないだろう。
「しかしまあ……こりゃひでえなんてもんじゃねえぜ……。これが世に言う地獄って奴か?」
闇の中、そして平野のど真ん中。男はまるで見えているかのように周りを一通り見渡し、そしてそう言った。
「何を言っている、よく見てみるがいい」先の声に別の声が答える。その声は明らかに乾きすぎていて、おおよそ人間に発音できる声質とは思えない。その声が続ける。「夜目が効くように術を施しておいた故におぬしらにもしっかりと見えているであろう? 生きているモノなどひとつもない。小動物や植物に至るまでほぼ壊滅しておる。己の犯した罪に応じて責め苦に苛まれる者がいないところは地獄でもなんでもない。おぬしらの価値観に立てばこの光景も地獄絵図だろうが、私に言わせればただ死体が転がっているだけのことだ」
「へっ、あんたにそんな風に言われちまえば、その辺の亡骸もあまり深刻にならずにあの世に行けそうだな、デス」
「その名はもう捨てたと言ったはずだ、クリガン。我が名はサトゥルヌス*1
。神名はおぬしらが考える以上に重要な意味を持つ、軽々しく違えてはならぬ」
「あ、そうだったな、悪かった」
平野にいたのはクリガンとデス――サトゥルヌスと名乗っているが――だった。その二人の見ている光景。それは……。
地獄絵図という言葉で表現するのは客観的なようだが実は主観的なものでしかない。サトゥルヌスのようにマイソシアという世界そのものに対して客体としての視点を持つ者から見れば、まさにサトゥルヌスが語ったとおり「死体が転がっているだけ」に過ぎない。
その死体とは第五騎士団のものである。全て息絶えているが、少しでも人間らしい感情を持つならば彼らの受けた仕打ちを想うほどに同情し、彼らの受けた惨劇を己を照らし合わせて震え上がるだろう。
「しかしま、それでもやっぱ地獄だな。見ろよ、あの辺の奴らは生きたまま焼かれたんだろう。見た目からの想像だがかなりの高温だったんだろうな。天や仲間に手を伸ばしながら絶命してやがる。それだけ見てもさぞかし辛かったんだろうって思わねぇか?」
「なんとも言ってやれぬな。少なくとも感情を伴った言葉を私に期待しても無駄であるぞ?」
二人の背後から別の声が言った。
「クリガン、無駄よ。人の悲しみや憎しみをなんとも思わない奴なんだから」その声はまるで見限ったような突き放した言い方で、よほど鈍感なものでも間違いなく毒気を感じ取るだろう。
サトゥルヌスは振り返らずに答える。振り返らなかったものの、言葉は真正面から受け止めたようだ。
「セリス、それも違っている。私の導く世界では憎悪は生きる意味であり悲しみは常に求められている。ただ生きているだけでは死ぬことすらなく……」セリスがたくさんだとでも言うように少し声を荒げて遮る。「あんたの訳の分からない価値観なんて興味ないわ! 別にどうこうしてくれとも言ってないでしょ? クリガンに『無駄よ』って言っただけだわ」
「……ふん。気難しいことだな」
「あんたなんかとは出来が違うのよ」
クリガンが口を挟む。
「お前ら面白いな。片や骨だけの体に薄気味悪いローブの元死神様、片や口の悪いナイフ使いのくせに聖職者の格好ときたもんだ」
「クリガン、それ、茶化してるつもり? つまんないわ」
「へいへい、毎度手厳しいこって」
セリスはクリガンを無視してサトゥルヌスに言う。
「それより分かってんでしょうね? 事が始まったらちゃんと役に立ちなさいよ? クリガンなんて、あんたが知り合いの戦士を誰でもいいから一人連れて来いって言うから来てもらっただけで、本当は今日は大事な息子の誕生日だったんだから」
クリガンが十分に大きな声で、独り言のように呟くような言い回しで言った。
「そこまで言ってくれるなら他をあたってくれりゃ良かったのにって思うんだがな」
「その点については同意だ、クリガン」サトゥルヌスが即座に相槌を打つ。
「うっさいわね! とっさに思い浮かぶ戦士の知り合いなんてあんたしかいないのよ! 知り合いが少なくて悪かったわね!」
「いや、そんなこた言ってない……」
「緊張感のないこと。余裕なのかい?」
三人の目の前に女の姿が唐突に現れた。大きな後ろ襟と胸元が大きく開いた赤いドレスのような装い、赤い瞳、長く、そして赤い髪。
「お! 帰ってきたな姉ちゃん、様子はどうだったんだい?」
クリガンが女を視界に捉えて言った。女――オウカだ――はクリガンの言葉が鬱陶しそうに小さな溜息をつく。
「学ばない奴。あんたみたいな若造に気安く姉ちゃん呼ばわりされるのは不愉快だと言ったはずだが?」
「堅い事言うなって。俺より長く生きてるとか言われたってよ、見た目はどう見たって俺らとそんなに変わんねえじゃねえか」
クリガンの言うとおり、オウカは声質と口調こそ長く生きた賢人のようだが、見た目はどう見ても二十代前半の女である。
「愚かな。見た目で人を判断するなと教育を……」
「そりゃあ違うぜ姉ちゃん、あんたがどう見せたいかって事ならあんたの言い分も分かるが、あんたがどう見えるかってことは他人の目が決めるこったぜ?」
「……このオウカに向かって知った風な口を聞くではないか、若造。問答でこの私に勝てるとでも」
「後にしろ二人とも」ウンザリだとでも言いたげにサトゥルヌスが二人に割って入る。表情など全くないサトゥルヌスだが、その分、言葉に少しでも感情か感じられると説得力が桁違いである。
「緊張感のないこと」セリスが無表情でサトゥルヌスに続く(しかもそれは、おそらくわざとやっているのだろう)と、オウカはセリスを睨み付けた。クリガンは何か滑稽なものでも見るようにニヤリと口元に笑みを浮かべる。そのまま二人を茶化しそうな様子だが、それとなく本題に戻った。
「で、どうだったんだ? 見つかったのか? その、なんだっけ? するめだっけ?」
「スルトだ。ほんとに物覚えの悪い若造だよ。彼奴は南方百キロの地点にいる。ルアスからも百キロ北方、つまり、我々とルアスのちょうど真ん中だ」
「ガイアはどうしたの?」今度はセリスが聞いた。
「スルトから五キロぐらい距離をとって後ろから見張ってるよ。スルトもこれまた単細胞なのか何なのか分からないけど後ろには全く気を使ってないからね。こっちは全く気を使わなくてもばれないだろう。けど急ぐに越したことはない。もしガイアがスルトと戦ったりしたらガイアの魔法の出力が大きすぎてどっちみちルアスがなくなりかねないよ? ガイアは地属性の魔法を呼吸するのと同じ感覚で発動するけど、地震なんていうこじんまりした魔法はガイアには使えない。使えるのは地殻変動並の大物ばかりさ」
「チカクヘンドウって何?」セリスがクリガンにこそっと言ったが「俺が分かるわけねえだろう」とクリガンが答え、「それもそうね」「なんだよ、お互い様じゃねえかよ」と続けている間に、オウカが何かをボソボソと詠唱した。すると、オウカの前に青白い輝きと繊細な彫刻が施されたフルプレートの防具が現れた。その防具に立てかけるような形で同じような色合いと彫刻の大きな盾もある。
「クリガン、ガイアからこれを預かってきた。ちゃっちゃと装備しな」
言われたクリガンはそれらを目にした途端視線が釘付けになり何かに打たれたように固まってしまった。溜息交じりに言う。
「こいつぁ……こいつは見事だな……!! こんな業物、見たこともねえぜおい!」
「ほう? わかるのかい。戦士の目は曇っちゃいないんだね。これはガイアの息子でアルゲス*2
って名の鍛冶職人が作った防具と盾なんだとさ。もう生きてないらしいがな」
「ちっ」サトゥルヌスがその名を聞いた途端に舌打ちした。他の三人にもはっきり聞こえたので何事かとそちらを見るのだが、サトゥルヌスは明らかに視線を外して構ってもらいたくなさそうだ。特にそれを察したとわけではなくむしろ彼の純粋な興味からだろうが、クリガンはサトゥルヌスを無視して続ける。
「アルゲス? 誰だいそりゃ? マイソシアの名工は誰一人漏れることなく俺の頭に入ってるはずなんだがな?」
クリガンはそれが誰のことか全く分からず、視線を投げかけられたセリスも首をかしげているが、サトゥルヌスは先の様子からも分かるとおりその名を知っているようだ。
「忌々しい名だ……」
「ん? サトゥルヌス、どうしたんだ? 嫌いな奴なのか?」
「かの名はおぬしらの知るところではないし知る必要もない。軽々しく口にするでない。……我が名もな」
妙に重々しく釘を刺すサトゥルヌスだが、お互いの立場に上下関係の欠片すら感じていないクリガンにとってはいささか邪魔くさい言葉に感じるようだ。
「……なんだよそれ。だったら言わなきゃいいのによ。ま、いいや。ありがたく家宝にさせてもらうぜ」
「誰がやるといった。貸すだけだ」オウカは呆れかえった。クリガンの何者が相手でも素で己を貫き通す性格に対してだろうか。
早速着けてきた鎧を外し、ガイアの用意した鎧を装備したクリガンにサトゥルヌスが言う。
「職人が誰であるかはともかく、だ。それほどの業物を纏うのであれば得物も相応のものを持つべきであろう。これを使うといい」
今度はサトゥルヌスがおもむろに何もない空間から真っ黒なハンマーを取り出した。
「んー」クリガンはそれを見て首をかしげ、
「……」オウカは言葉を失い、
「えぇ? 骨、頭大丈夫?」セリスはあからさまにサトゥルヌスの事を疑った。
三人のその反応は、サトゥルヌスの取り出した戦鎚があまりにも何の変哲もないからだった。
「いや、あんたが出してくるもんだからすげぇもんだと思うけどよ。この鎧を見た後じゃあ、飾り気も何もないっつーか、芸のなさそうな……」
クリガンの言うとおり、せいぜい特徴らしい特徴といえば鎚から柄に掛けて全体が完全に真っ黒、艶のない表面は光を反射しないというだけで、それ以外はどこにでもありそうな一般的な戦鎚でしかない。それに、黒塗りの武器自体は珍しくもなんともない。特に今は日が暮れている。夜の戦闘時に黒い武具を用いるのはありふれた事で、そういう意味では黒いということすら特徴にならない。
「何を言っている。よもや得物が何らかの力を持っていればそれは良い物だなどという、その辺の素人のようなことを考えておるのではあるまいな?」
「いや、そういうわけじゃねえけどさ」
「まあ案ずるな。これとて我が術を施してある。その辺の戦鎚とは一味違うぞ」
「そうは言ってもなぁ。これなら使い慣れてる剣の方が手になじむってもんだ」
「あのスルトにそんな薄い刃物など、紙切れで岩を叩くようなものだ。いいから手にとって、両足をしっかり踏ん張ってその辺を打ってみろ」
「んー、まあやってみるか」
クリガンはサトゥルヌスに促されてその戦鎚を手にすると、途端に目を大きく見開いてその戦鎚を天に掲げてしげしげと見つめた。
「どうしたの?」セリスが言うとクリガンは一呼吸おいて言った。
「軽い」
「え?」
「軽いんだよ。軽すぎる。羽でも持ってるみたいだ」
「驚いたか? だが驚くのはまだ早いぞ。早う、その辺を打ってみよ。セリスにオウカよ、少し離れておれ」
サトゥルヌスがクリガンを急かす。もしかしたら楽しんでいるのかもしれない。セリスとオウカは首を傾げながらも言われたとおりクリガンから距離を取った。
「……いいのかよ? 地面とかぶっ叩いたら折れちまわねえか?」
「構わぬ。むしろ折れるものなら折ってみるがいい。それから二人とも、もっと離れよ。巻き込まれるぞ」
「は? 何に?」セリスが言い返すが、「早うせんか。時間もあまりなかろう」と重ねて言うサトゥルヌス。ここまで言われれば三人ともこの戦鎚には何かあるのだろうと思うものである。言われるがままに十分と思われる距離を取るセリス達を見たクリガンは不敵な笑みを浮かべて戦鎚を構える。
「へっ、じゃ遠慮なくへし折らせてもらうぜ!」
戦鎚の柄を両手でしっかりと握りなおし、言葉どおりへし折るつもりで地面に叩きつけた。
「うおりゃあああ!!」
ドゴォォォォォォォォ!!!!!
「きゃああ!」
「んな! 防壁来たれ!!」
セリスはあまりの音に悲鳴を上げることしか出来なかったが、オウカはもう少し冷静だった。飛び散ってくる小岩や石礫からセリスと自身の身を守るために咄嗟に防御呪文で身を守る。
「うおおおお!」
クリガンがあまりの予想外の威力に声を上げているがまるで爆発でも起きたかのような大音響にかき消されて誰にも聞こえない。
あまりの予想外の威力にサトゥルヌス以外の三人は妙に長く感じたのだが、実際の大音響はほんの数秒程度。音が止み、巻き上がる砂塵が落ち着いてクリガンが打ち込んだ地面がはっきりと見えるようになると、セリスとオウカ、そしてクリガンはさらに目を疑った。
クリガンが戦鎚で打ち込んだ地面が直径三メートル程のクレーターになっており、打ち込んだクリガン自身も中心から飛ばされていたのだ。
「な、な、なんだこれ……ありえねぇ……」
改めて眼前に戦鎚を掲げ、クレーターと戦鎚を交互に凝視するクリガン。そうしてみてもやはりそれはただの戦鎚でしかない。だが事実、驚異的な威力を物語るクレーターが目の前にあるのだ。
「その戦鎚の実際の質量は、人には決して縁のないものだ。そのままであれば人の力どころか神の力をもってしても持ち上げることなど出来ぬが、我が術によって打ち込みの瞬間に対象に対してのみ、その質量を放出する。とある得物を参考にして作らせた戦鎚だ。有難く振るうがいい」
「サトゥルヌス!!」オウカが怒り心頭の形相で叫んだ。「こんな無茶苦茶な威力があるのなら先に言え! 私とセリスが破片で蜂の巣になるところだったではないか!!」
「うむ、すまぬ。まさかクリガンが初めて扱う得物でここまで威力を引き出すとは思っておらなんだ。許せ」
本当に悪いと思っているのかどうか甚だ疑問に感じる乾いた声ではあったが、そもそも表情に感情を表すなど物理的に不可能なサトゥルヌスに感情も何もあったものではなく、そう言われれば額面どおりに受け取るしかない。
腰を抜かしたセリスを、面倒くさそうに手を貸して立たせるオウカ。
「一応気を使ってあげるわ。大丈夫?」
「一応って……なにそれ。びっくりしただけよ……。っていうか、誰だってびっくりするんじゃない?! あれじゃ程度問題よ、滅茶苦茶な威力だわ!!」
「まったくね……でも、見事だわ。その戦鎚といい、鎧といい……」
サトゥルヌスがオウカに続ける。
「そうだな。あの鎧を着ていなければ戦鎚を用いたクリガンは無数の石片に打ち抜かれて挽肉になっていたことだろう」
そして、当のクリガンと言えばまだ戦鎚を見つめていた。
「こいつぁ……なんて銘だ?」
「銘などつけておらぬ。私の物差しで見ればその程度では銘入れするほどのものでもないのでな」
「まじかよ……。こんなにすげぇのに……。悪いな、こんなすげえ武器もらっちまって……」
「誰がやると言った、貸すだけだ」
「……ちぇ。なんだよ、さっきからお前らケチだなぁ……。まいいや、とにかくこいつぁすげえぜ! この戦鎚と鎧があれば俺は負ける気がしねえ!」
「なんだと?」クリガンの言葉に対してサトゥルヌスが即座に言った。
「な、なんだよ、何か悪いことでも……」
「構えよ」サトゥルヌスは問答無用と言う様子でクリガンの言うのを遮ると唐突に自身の大鎌を両手に出現させた。
「え? お、おい、サトゥルヌス、なんだよそのでけえ鎌、何するつもりだ?」と言いながらも何か本能的にマズイと感じ取ったクリガンは戦鎚と盾を構えてサトゥルヌスを見る。
次の瞬間。
「!?」サトゥルヌスとクリガンの様子を距離を取って見ていたセリスやオウカも目で追うことは出来なかった。大鎌を構えたサトゥルヌスの姿が揺らいだ瞬間、驚異的な速さでクリガンに襲い掛かったのだ。
「ぬお!? おい! ちょ、サトゥ……」
ガシィィン!!!
突然襲い掛かってきたサトゥルヌスに驚きはしたものの、戦士としての本能が咄嗟に盾を構えさせ大鎌を受け止めていた。だが、とても応戦できるような体制は取れていない。
「クリガン、私がこのまま次の一撃で汝の首を狙っていたら防ぐことが出来たか?」
「……いや、無理だ」
「よく聞け小僧、武具がいくら力を秘めていようともそれを用いる者が使いこなせなければ何の役にも立たぬ。スルトは今以上に素早く距離を詰めてくるし今以上の威力で打ち込んでくる。よいか、我と我が母君が汝に求めておるのは戦士としての資質のみ。不足する力はこの戦鎚が補い、神と対峙するにはあまりにも非力な五体はこの鎧が守るであろう。他にもセリスとオウカ、そして我と母君があらゆる手段で汝を支えるだろう。だが、戦うのは他の誰でもない汝自身。今一度肝に銘じておくがいい。武具が戦うのではない、汝が戦うのだ」
「……」
慢心を諭す為、と言うにはあまりにも激しすぎる打ち込みと唐突な厳しい言葉にクリガンは言葉を失った。そして、我に返る程に冷や汗が背中を伝うのを感じた。桁違いの武具が用意されたということはそれだけ敵が強大だからなのだと言うことに今更ながら嫌と言うほど思い知らされたのだ。
だが、それでへたり込んでしまうクリガンでもなかった。
「へ……へへ……。あぁ、分かったとも。肝に銘じておくぜ。スルトだかなんだか知らねえがよ、こいつでドタマかち割ってやるともよ」
「……ふん、本当に分かっておるのか知らんがまあいい、少しは期待してやるから見事応えて見せよ」
「さて、ピリッとしたところで確認しとこうかしらね。みんなこっちへ」オウカが言うと、三人はオウカの周りに集まった。
「図解するまでもないけどね、私達が今こことすると……」言いながら地面に位置関係を示していく。「さっきも言ったとおりスルトは百キロ南方、そのさらに五十キロ南方はルアスの通常防衛線、現在は騎士団が布陣している。そしてさらに五十キロ南方が帝都ルアス。現在の被害については周りを見れば分かるとおり、第五騎士団が全滅してる。他にもここから百五十キロ北方、さらにはもっと北のレビアとの境界付近でもスルトに接触した者が何人かいるらしいね。そっちは確認しちゃいないが、考えるまでもなく多分全員が死亡だろう」
オウカが淡々と語る切れ目にセリスが言う。
「レビアとの境界にスルトが現れたのがお昼……。って言うか、昼間、この馬鹿骨が現れてから七時間ぐらい経過してるわけだけど」と言ってちらりとサトゥルヌスをみるセリス。見られた方は特に気にしている様子もないしどうこう言うつもりもないらしい。そのまま続ける。「もうこんなところまで移動してるって事はかなりの速さで移動してるわよね。しかも本当かどうか知らないけど自分の足で。どう考えたって無茶苦茶な足だけど、こんなことしてて大丈夫なの? あと五十キロでルアス防衛線と衝突しちゃうんでしょう?」
「スルトは、何故だか分からないけど今私達がいる場所を通過してから移動が速度が落ちてるみたいだよ。何で速度が落ちたのか、これは確認したわけじゃないんだけど、もしかしたら第五騎士団はスルトを消耗させるだけの善戦をしたのかもしれないね……。ま、都合のいいように解釈しただけだし、私がここを確認した時には彼らはもう全滅していたけどね」
あくまでも淡々と言い切るオウカにセリスは眉をひそめた。
「都合のいいようにって……。いくらなんでも血も涙もない言い方に聞こえるわ。騎士団は実際ここで戦って散ったんでしょう? だったら余計な一言を付け足さなくてもいいじゃないの。そんな言い方って……」
「そういう感情的なことはスルトを止めてから勝手にやって」答えるオウカは口調はおろか眉一つ動かすこともない。「私は俗世のしがらみなんかどうでもいいのよ。それによく考えるのね。今そんな感情的な話は何の役にも立たない。それどころか、確実にスルトを止めないと大惨事どころかマイソシアの歴史が終わりかねないの。分かる?」
クリガンも二、三度頷いてオウカに続ける。
「セリス、らしくねえな。この姉ちゃんの言うとおりだし、いつもならお前が真っ先に言いそうなことじゃねえか」
クリガンの言葉にセリスは何か意外な言葉を聴いたような表情になる。
「……は? 私がそんな酷い事を言うですって? ……そんなわけ」そう反論するセリスの言葉を半ば押さえつけるようにクリガンが言葉をかぶせる。
「まあとにかく今は『それ』は置いとけ」その様子にいつものクリガンからは感じられない苛立ちのようなものを感じたセリスは言われたとおり反論をやめた。
「……いいわ。納得出来ないけどね。続けて」
オウカはセリスの表情をちらりと見た。「続けて」と場を仕切るような言葉が引っかかったわけではなさそうだが、何か気になったことだけは確かならしい。しかし何も言わずにそのまま話を続ける。
「スルトの力は周りを見れば分かるとおり、主に炎熱を用いてくる。他にも辺り一帯の亡骸の様子を見てきたけど、体内の水分を瞬時に奪い取ったり石化させる力もあるみたいね。それから突然死させる力。これはサトゥルヌス、つまり元『デス』の力を奪ったものと見て間違いない。スルトは魔術か何かの力ばかりを用いていて物理的な攻撃を加えられたような亡骸は殆どなかった。もちろん、いくつか物理的な打撃を加えられた亡骸もあったけど、そこから分かるのは下手な鎧は紙切れより性質が悪いってことね。着けてる鎧を潰されたら人の力じゃ戻せないからね」
ある意味絶望的な事を言ってのけるオウカ。特別な武具がクリガンに与えられた理由の一つも正にこれだといえる。
「ま、物理的なことはこの鎧と盾を信じるさ。だがよ、術を喰らっちまったら唯じゃすまねえっつうかお終いじゃねえのか?」
「もちろん、周りを見れば分かるとおりほぼ即死だろうな」
「軽く言ってくれるなぁおい、あんな状態になっちまったら蘇生だって無理だろ? 俺はこんなんでも妻と子供がいるんだぜ?」
「戦いを手伝ってくれと言われてそれに応じたんだろう? 万が一の覚悟は皆同じだ。もちろんそう易々と術を発動させるつもりもないし彼奴の術を封じる術も考えてある。仮に術が発動しそうになってもレジスト出来る防御魔法はある。ビビるこたないよ」
「そうか……じゃ、よろしく頼むぜ。で、作戦は?」
「クリガンとサトゥルヌスが前衛、私とガイア、セリスがバックアップ。当たり前すぎて拍子抜けするかい?」
「いや、そんなこたねえさ、サトゥルヌスのさっきの一撃は強烈だったからな。でもおっさん、あんたどちらかと言えば魔術の方が得意だって言ってなかったか?」
「おっさん? おっさんとはなんだ?」サトゥルヌスは茶化しているわけではなさそうなのは声の調子から明らかだ。クリガンは少しこける様な仕草をした。
「いや、だからあんたのことだよ、サトゥルヌス」
「そうか。私のことであればその通り、私は物理的な戦いは好まぬし得意でもない。私は今回、直接攻撃はおぬしの補佐程度に押さえ、攻撃魔法とおぬしの攻撃補助を主体に動く。基本的には彼奴の詠唱を妨害するのが私の役目だ。おぬしはとにかくその戦鎚で彼奴を打ちまくれ」
「……ふーん。俺、人間なのに特攻なのか……」
「先にオウカも言ったであろう、後方からの支援を信じるがいい。オウカの回復魔法、セリスの補助、そして我が母君の無尽蔵の魔力供給がある。完全勝利を得ることは難しいだろうが負けることなど……」
サトゥルヌスの言葉に疑問を感じたクリガンはそれを遮って疑問をそのまま口にした。
「ちょっと待ってくれよ、今オウカが回復魔法っつったよな? なんでだ?」
言われた方のセリスの肩が少しビクンと動いた。そしてクリガンの目を見ることもなく「なんでよ」と聞き返すとクリガンはさらに不思議そうにセリスを見て言った。
「なんでってお前、聖職者はお前じゃねえか。こっちの姉ちゃんは魔術師なんだろ?」
直ぐにオウカが言う。
「私がいつ魔術師だと言った? 冒険者如きの尺度が私にも通用すると思わないことだね。あと、姉ちゃんって言うな若造」
それに続けてセリスも言う。
「そういうことよ、若造君。オウカの方が私よりも回復力が大きいの。ま、今回は補助やっとくわ。オウカから補助魔法の正式詠唱も伝授してもらったから任せといて」
「……おい。セリス」
「な、何よ真剣な顔して、暑苦しいじゃない」
「お前が自分の分野で自分より出来る相手を、相手の目の前で認めるなんて見たこともねえ。酒飲んだときなんか、てめえの師匠の事まで『偉そうにしくさってあのババア、近いうちにマイソシア一の座から引き摺り下ろす!』とか管巻くほどの負けず嫌いの癖に……本当にお前、どうしたんだ?」
「どうもしないわ」そう答えた声が明らかに弱弱しいというのは誰が聞いても気がつくだろう。絶対におかしい。そう確信したクリガンが「んなわけ……」とさらに詰め寄るのをサトゥルヌスが止める。
「クリガンよ、何を気にしているのか知らぬがその辺にしておけ。スルトの南下速度が落ちているとはいえ時間が余っているわけではない」
(こいつ、何か知ってやがる)クリガンはそう直感した。だが、今無理に聞き出すのは難しいと理解もした。
「……分かったよ」
クリガンが諦めた所で、オウカはあからさまに大きく溜息をついて話を戻した。
「ったく、脱線の多いことだ。とにかく相手はスルト一体。いいかい、クリガン。その戦鎚と盾、防具、そしてサトゥルヌスとガイアが認めたあんたの戦士としての資質、さらには私らの支援魔法。これだけあればまず負けることはない。決め手がないから完勝も出来ないだろうし、そんなのは目指してもいない」
「ん? なんだ、やるからには勝つんじゃないのか」
「この世界でスルトとの勝負に勝つなんてありえないのさ。彼奴はこの世界で死んでも自分の世界に帰るだけ。そうなったら彼奴が自分の世界でどれだけの時間で回復し、その後この世界のどの時間に戻ってくるのかさっぱり分からないんだ。見かけ上すぐに回復して戻ってきちまう場合もある。だからいいかい、ありえないとは思うけど、もしもスルトが拍子抜けするほど弱かったらちゃんと手を抜くんだよ。圧倒しちゃうと逃げられるだろうからね。私の知り合いが駆けつけるまで足止め出来れば後はそいつに任せれば終わる。分かったね?」
「その知り合いってのはどれぐらいで駆けつけるんだ?」
「三十分ってところだね。スルトにちょっかい出しながら、さらに戦いの場を可能な限り北に移動出来れば言うことはない」
「変な話だな」クリガンが眉をひそめた。「たったの三十分待ってれば何とかしてくれるんなら放っておいたっていいような気がするんだが? もちろんレビアから半日でここまで来ちまうんだから今すぐにでもルアスに乗り込まれる可能性もあるんだろうけどよ、他に放っておけない理由でもあるのか?」
「あまり時間がないのに突っ込んでくる奴だね……。一つはそもそも今の事態に気づいていない小規模な隊商やら遊牧民が危ない。一般人には精霊話術で警告するなんて出来ないからね。騎士団が一応触れてまわったみたいだけど私の脅しが効きすぎた*3
みたいだね、直ぐに砦まで撤退しちゃったから警告が十分には行き届いてないのさ。だからさっさと行かないと今にも犠牲者が出てるかもしれないんだよ。後もう一つの理由はさっきも言った勝てない理由も関係するんだけど、彼奴の世界に逃げられたら今度はどこに表れて何をするか分からない。ああいう輩をギャフンと言わせようと思ったらとにもかくにもまずは封印か隔離が絶対に必要なのさ。そんなことが出来るのはマイソシアには多分あいつしかいないがその準備に時間が掛かるらしい。それが大体三十分ってことさ」
「へえー……ま、後手にまわってんだから仕方ねえんだろうけどさ。なんか行き当たりばったり感も拭えねえな。そーいう作戦ってのは見積もりの正確さが命だろう? 三十分ってのは間違いないんだろうな?」
「口の達者な男だよまったく。そこはお前に心配されるところではない、クリガン」
「そうかい。別に嫌味を言ってるわけでも欠点を指摘してるわけでもないんだがな。で、そのマイソシアに一人しかいないっていう奴の名前は?」
「聞いたところでどうせ覚えていられんだろうが、コリステアという男だ」
「は? なんで覚えてられないんだ? もう覚えたぜ? コリステアだろ?」
「……あーもう。はいはい、私が悪かった。ああそうだよ、あんたは頭のいい男さ。さ、頭のいい小僧に指摘された通りこっちは後手なんでね。後は現地調整だ。準備はいいね?」
「いや」クリガンが言う。
「なんだい! 時間がないって言ってるだろう!? それとも本当に三十分時間潰すつもりなのかい!?」
「そんなんじゃねえ、三分だけくれ。セリス、ちょっと話がある。こっちへ来てくれ」クリガンはオウカが応じるのを待つこともなく、半ば強引にセリスの腕を掴んでオウカ達から距離を取った。
「痛い! 痛いってば! どうしたのよ!? もう、、ちょっと、分かったからそんなに思いっきり引っ張らないで!」というセリスの抗議はあまり聞き入れられた様子もないようだった。
あっけに取られたオウカとサトゥルヌスは、二人が距離を取って小声で話し始めるのを黙ってみていた。しばらく二人を見守っていたオウカだが、不意に小声でサトゥルヌスに言う。
「サトゥルヌス、あんたはどう思う?」
「セリスのことか?」
「そう。あの子、覚醒はしていない。というよりこの空間にいる限り覚醒はありえない。でも、あの子の様子を見ると影響が出てるとしか思えないわけよ。どう?」
「性格に影響が出始めているのは間違いないようだ」サトゥルヌスが考えた様子もなくさらりと答えると、オウカは頭痛がするとでも言いたげにこめかみを押さえた。
「……あんたもほんっとーに余計なことをしてくれたね。寝た子を起こした、とは言わないけどさ、ちょっかい出したのは間違いない。せめてあの時一緒にいたチェリスの方に種を植え付けといてくれればよかったのに。チェリスの魔力だってかなりのものの筈なんだけど?」
「面目ない。だが、あの時の状態の私にとってみればな、マレリアの娘であるセリスと知らない女を比べればセリスの方を選ぶのが道理だ」
「そりゃそうだろうけどさ。私は親父みたいに好き勝手に『どこにでも行ける』わけじゃないんでね。マイソシアに消えてもらっちゃさすがに困る。そこまであんたに責任を問うつもりはないさ」
二人とも小声のまま、表情一つ変えずセリスとクリガンを見守りながら話している。
「しかしまあ、エデンねえ……ガイアからチラッと聞いたことがあるだけだったけど、ちゃんと調べとかなきゃだめみたいね」
「我が母も私も出来る限り力になるとも」
「出来る限り、ね。あんたはガイアが知っている以上にエデンの事を知っているのかしら?」
「……我が母の話は既に聞きつくした、とでも言いたそうだな。チラリとだけ聞いたのではないのか? それとも直接記憶をやり取りしたのか?」
「お察しの通りよ。どうなの?」
「ふむ。二人の話が終わったらしい。スルトを無事片付けてから話そうではないか」
「いいわ」
クリガンとセリスが話を終えて戻ってきた。セリスは気持ちうつむき加減にクリガンの後ろを歩いてくる。
クリガンは肩で風を切るように大股でオウカの前に向かいながら腹の底に響くようなドスの効いた声で言った。
「やってやろうじゃねえか……そのスルトとかいうクソ野郎、封印するまでもねえ、コイツで粉々にしてやる」
「……? ク、クリガン?」
クリガンはオウカが気後れするほどの憤怒の相を現していた。
*1: ローマ神話の神。ギリシャ神話のクロノスに対応する。ウラノスとガイアの息子
*2: ウラノスとガイアの息子で一つ目の巨人。ウラノスからもクロノスからもその醜さから嫌われてタルタロスに閉じ込められ、ゼウスが主神になったときにやっと地上で鍛冶をやってもいいと言われたのに、無茶苦茶な理由でアポロンに殺されてしまったかわいそうな巨人
*3: #38参照
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#47 戦士と大地 [セリス]
posted by GEM at 2006年10月22日 23:33
ちょっと、いいえ、かなり驚いてる。全身から立ち昇って逆巻いてる怒気が目に見えそうなほどで、ちらっと目が合った瞬間なんて心臓が止まるかと思った。クリガンがあんなに怒るなんて……。いつも飄々として、いつも常にスケベで、ついさっきまでだって視線は私とオウカの胸を行ったり来たりしてたくせに……。
ついさっきの事――
「絶対におかしい。お前何か隠してるだろ?」
強引に私の腕を引いてオウカとサトゥルヌスから十分な距離を取るなり、クリガンは唐突にそう言った。こいつがこんなに他人の事を気にしたことなんて滅多になかったから私の方が少し戸惑った。さっきからの私の態度にどうにも納得がいかないみたいだなぁっていうのは薄々気づいているけど……その前に!
「ちょっと、痛い! 離してよ!」掴まれた腕を強引に振り解く。「何だっての!? 何も隠してないわよ! 何がそんなにおかしいのよ?!」噛み付かんばかりの勢いで言ってやった。でもクリガンは全く怯む様子がない。いつもならここまで怒ればヘラヘラ笑って誤魔化すか、諦めるのに。
「あのなぁセリス、今のお前じゃあ俺どころかまだ付き合いの浅いジンにだって様子がおかしいって見抜かれるぞ? ましてやお前、俺と何年つるんで狩りやってると思ってんだよ?」
そこまで言うからには余程何か違和感を感じてるんだろうって事は分かる。それに、確かにあまり話したくない、出来れば隠しておきたい事もある。でも、もっと言えば女の隠し事に首突っ込まないでってところ。
「そんなのこっちの台詞だわ。今のあんたの様子のおかしいことときたらその辺のプロブが『プロブに生まれてよかった! あそこまで狂っちゃったら生物として終わってる!』って胸を撫で下ろすわよ」
「ひでぇなおい、しかもプロブ以下って。じゃあ聞くがな、なんであんな事言った?」
そんな言われ方じゃ漠然としすぎで本当に何の事か分からない。「あんな事って何?」と聞き返すと、クリガンは腰に手を当てつつがっくりと両肩を落としてうな垂れ、ちらっと私の顔を見て言う。そういう態度は言ってる事が明らかなときにするもんだって思う。
「……オウカの言ったことに対しての事だよ」やっぱりって思っちゃうところが悲しい。全然何の事か明らかじゃないんだもの。
「強引に引っ張ってきたくせにはっきりしないわねぇ! もっとはっきり言ってくれない!? 大体見てて気づいたと思うけど私とあいつってどっちかって言うと反りが合わないのよ。だから違和感があっただけなんじゃないの?」
クリガンは腰の辺りで戦鎚を左手に持ち直し地面に突いて体重を預けるようにしつつ私を指差し、いたずらっ子に言い含めるように続ける。
「反りとかそんなんじゃねえ。オウカが『スルトの移動速度が鈍ったのは、都合のいいように解釈すれば騎士団が善戦したからかもしれない』みたいな事を言ったときだよ」
どうやら私が騎士団を庇うような言い方をした事を指してるんだわ。クリガンの言いたい事も、何に違和感を感じているのかもなんとなく分かったけど、そうならそうとはっきり言えばいいのに。素直に認めてあげる気になんてならない。
「……それって私が騎士団の犠牲を庇ったから? だったら庇って何が悪いっての? 私が血も涙もない冷血女とか思ってるわけ? 辺り一面真っ暗だけど、サトゥルヌスの魔法か何かで辺りの光景はちゃんと見えてるんでしょう?」
「ああ、見えてるさ。惨いなんてもんじゃない」クリガンが認めた瞬間に私は即言い返した。
「だったら! どれだけの騎士が……ルアスを守る為に犠牲になったと思ってんの!? これを目の当たりにしてあんな言い方されたらいくら私だって」
「いや違うね」クリガンが私が言うのを強い語気で遮った。「あれは絶対にお前らしくねえ。確かに第五騎士団の犠牲をなんとも思ってなさそうなオウカの言い方はどうかと思ったけどな、言ってる内容は事実から導かれる一つの推論に過ぎん。あの程度の事、いつもならお前が真っ先に言ってそうな事じゃねぇか。だがお前の口からは『血も涙もない言い方』ときたもんだ。俺の知ってるお前なら数千人が死んだなんて話をしてるとは信じられねえような目で間違いなくこう言ったはずだぜ? 『ま、そんなところでしょうね』ってな具合にな」最後のところはわざわざ私の身振り手振りまで真似て言う。で、まだ言い足りないみたいで口を開こうとした私に反論の隙を与えずに畳み掛けてくる。
「今だってそうだろう。そりゃあな、周りの夥しい数の騎士の亡骸を見りゃ心を動かされねえ訳がねえ。確かにお前の言うこともなんにも矛盾はねえさ。だがそれは『俺らの感覚』であって、お前は間違いなく違う感じ方をする人種だった。『騎士が有事の際に命懸けで帝都を守るのは当たり前、目的を果たさず全滅するぐらいなら騎士団なんて意味がない』ってな」
「何よそれ? 私が騎士団に同情したら何が悪いっての? そりゃね、私自身が普段はもっとクールな思考をしてるってのは認めるけど、いくらなんでも規模が全然違うじゃないの。だいたい、いつもと違うとかって話ならこっちだって言わせてもらうけど、あんたがそんなに饒舌な時って絶対に何か言おうとして隠してるのよ。どう?」
「おい……俺がなんか隠してるって、本気で言ってるのか? 俺が何を懸念してるかなんて、もうとっくに分かってて話してると思ってたんだが……」
「え?」まさかこいつにそう返されるとは思ってもみなかった。
「いつも言ってるだろ? おれは後方支援に違和感を感じたまま狩りに出かけるなんてことは一切しねえ。もう何年も俺の背後を任せてきたんだからこの程度は言わなくても分かってんだろうって思ったが、俺の自惚れか?」
ちょっと悔しかった。確かにこいつは後衛の事をとにかく気に懸ける。出かける前に後衛がちょっとでもおかしいと思ったら原因を突き止めない限り絶対に狩りに出かけようとしないんだ……。こんな奴からの信頼でも、答えられなかったと思うと寂しい思いがした。何も言い返すことも出来ずにいるとクリガンはさらに続けた。
「なあ、お前さ、無理するぐらいなら帰ったほうがよくないか? 何があったんだか知らんが言いたくないなら別にかまわねえさ。他の聖職者に心当たりがないわけでもねえし、別の(聖職者を)探して行ってもいいんだぜ?」
「それは絶対駄目なの! これ以上関係ない人を巻き込まないで!!」何故か自分でもよく分からないぐらいに唐突に口から言葉が飛び出した。言っちゃってから(私何を言ってるんだろう?)なんて思うぐらいに。クリガンは私の掘ったちょっとした墓穴が面白かったのか鼻でフッて笑う。
「俺は巻き込んでもいいのかよ」
「それは、その……ごめん……でもねクリガン、ここに来る前も言ったけど時間がなくて咄嗟に思いついたのがあんたで」
「つーかさ」またしても遮られる。「昼間、(氷の)城でも様子がおかしかったろ。あんときはもう狩場にいたから言わなかったが、あれだってずっと引っ掛かってたんだ。その数時間後に今のお前を見ちまえば尚更ってやつだろう。どう思うよ?」
強引に腕を引っ張るだけの根拠はあるってことね……。付き合いが長いってのも良し悪し、黙ってたい事だってあるのにあっさり見抜かれちゃう。
仕方がない、話そう。ただ、絶対に全てを話してしまうことは出来ない。当たり障りのないことを話して、なんとか取り繕おう。そんなことを妙に明瞭に考えてから言った。
「……分かった、話すわ。私の母さん、知ってるわよね?」
「ん? まあな。ただ知ってるってだけじゃねえ、それなりの因縁もある。今更言うまでもねえこった」
クリガンの言ってる因縁……それは私とクリガンが知り合いになるきっかけでもあり、当然の返事が返ってきた。
「うん。でね、母さんのね……意識が戻ったわ。だからちょっと集中出来てなかったって言うか……」
「……な……、んな……、……なんだとぉ!?」しばらく何も言えなかったみたいだったけど、よっぽど驚いたのか杖がわりにしてた戦鎚が倒れてもそれを拾い上げることすら忘れ、私の両肩に手を置いた。そして驚きに比例した大きな声で「おい! お前、そりゃ大変じゃねえか! こんなとこにいていいのかよ!?」
「痛いってば!」私は言いながら、加減を知らない馬鹿力で両肩を掴むクリガンの両手を振りほどき、軽く肩を摩りながら戦鎚を拾い上げ、ポカンとしているクリガンに手渡す。関係ないけど、本当に軽いわ、この戦鎚。
「確かに大変なことよ。私も側にいてあげたいもの。でもね、大丈夫。それに今はもっと大変なことが起ころうとしてる。それどころじゃないでしょ」
「それどころじゃないったって……」
「待ってってば、何があったか聞いてくれるんでしょ? その、ほら。なんて言うか、さ……。私って世間ってやつがあまり好きじゃないじゃない?」
「そりゃよく知ってるが、それとどういう関係があるんだ?」
「正直に言うとね、母さんがあのままの状態だったらきっとスルトの事なんか無視したと思う。母さんに辛い思いをさせたこんな世界なんか壊れちゃったって知った事じゃないもの」
自分でも無茶な事言ってるなって思う。そう思う自分を不思議に思う。冷静に考えて、ちょっと前の私はこんな考え方を『無茶な事』なんて思わなかったはずで、クリガンはちょっと前の私をよく理解してくれている。
「そうだろうな。その方がお前らしいってもんだ」
「でもね、私は結局母さんの為にここに来たの。三年間眠り続けて、やっと目覚めた世界がその日のうちに壊れちゃったら悲しいでしょう? 今世界を終わらせてもらっちゃ困るのよ」
「んー? んー……まあ言ってることは分かるさ。でもよ、それがお前の性格を一時的にとはいえ変えちまうような事とは思えねえな」
「……あのねクリガン。私だって人の子なんだけど? 大袈裟だけど、世界をスルトから守るって意識して騎士団の犠牲を目の当たりにしたら、何とも言えない悲しみがこみ上げてきた。きっと彼らにだって私のように守りたい誰かがいたでしょうに……。確かに今までの私なら何とも思わなかったと思うけど、今は彼らの悔しさや無念さが少し分かる気がするから……。彼らの戦いの尊さ、なんて言うのは今でも大げさな感じがするけど、でも犠牲を無視するような言い方は許せないって……。柄じゃないって思ってんでしょ? でもこれが本当の気持ちなの。だからオウカの冷たい言い方にむかついたのよ」
「……そうか」本当に納得したのか怪しい視線を向けながら口では納得したような応えを返すクリガン。付き合いが長いって言うのはこういうときやりにくい。
「そうなの」
「なんか腑に落ちねえが……戦闘中に集中できないようなもんじゃねえんだな?」
「用心深いんだか心配性なんだか。大丈夫よ、ガキじゃあるまいしちゃんとわきまえてるわ」
「ふーん。でもよ、なんでお前の母ちゃんの意識が戻ったんだ? 絶望的だったんじゃなかったっけ?」
「……うん。医術は為す術なし、民間療法もいろいろと検討したけど殆どが眉唾物、それなりに信用できる療法は当たり前のように『こうなってしまっては……』ってのが落ちだったわ。ガーリン教皇様やカステヘルミ女王陛下も私たち平民は死ぬまで縁がなさそうな方々へお願いしてくれたんだけどやっぱりだめだった。むしろ何故この状態でまだ息をしているのかって……」
「だよな。それが何故意識を取り戻したんだ? しかもこのタイミングだぜ?」
あら。単細胞の筋肉馬鹿にしては成長したってことかしら。
「へえ……あんたでも何のヒントもなしに一連の出来事の因果関係にまで考えが及ぶのね」
「んなこと誰だって思うだろ」
自分で因果関係なんて言葉を出しておきながら、辻褄を合わせようと考えを巡らせる自分がすごく馬鹿みたいに感じた。出来るだけ嘘は吐かないように、出来るだけ真実だけを話せるように、そう思いながらゆっくりと話す。
「……母さんの精神を殺したのはね、あいつなの」
「あいつって……あの骨(サトゥルヌス)か?」言いながらこっそりとサトゥルヌスを指差す。
「指差さないの」ゆっくりと諌めるようにクリガンの指先に手をかぶせて言った。「そうよ、正確に言えばあいつは、母さんが精神の自殺をせざるを得ない状態に追い込んだってところね」
「まぁ、そういうところはお前らしいと思うけどよ、そんなあっさり言ってる場合なのか? だったら死んじゃいねえとはいえ親の仇じゃねえか。まさか許してやったってのか?」
「許すっていうのとはちょっと違うわ。話すと長くなっちゃうし、なにより私も全て聞いたわけじゃないけど、今分かってることを掻い摘んで話すとこういうことよ」別に誰に聞かれるわけでもないけど、ここで少しだけ声を落とした。雰囲気みたいなものね。「三年前、サトゥルヌスが死神としてこの世界に来るように仕向けた奴がいるんだって。それが分かったのはつい最近のことだってオウカが言ってたわ」
「ん? よくわかんねえな。死神としても何も、サトゥルヌスはどっからどう見ても死神じゃねえか」
「確かにね。三年前に現れたときは正真正銘由緒正しき死神『デス』だったとか言ってるわ。今はさらに昔の記憶を取り戻したらしくて、その時の名がサトゥルヌス、さらにその前にはクロノスとも呼ばれてたらしいわ」自分で言ってて混乱しそうなことだけど、不思議な事にこの男はこういうことは素直に受け止める。単細胞ならではって事かしらね。
「昔の記憶ってのはいつごろの何の話をしてるんだ?」
「私だって同じことを思ったけど、オウカが言うには『ジクが違うから何年前とかって単純なもんじゃない。御伽噺とか神話とかそんなもんだと思っててもそれほど間違ってない』とかなんとか」
「なんじゃそりゃ。御伽噺っつったって、サトゥルヌスもガイアも実際にいるじゃねえか」
「だぁかぁらぁ。わたしだってまだよく分かってないんだから突っ込まないでよ。もっと『とっつきやすい訳の分からないところ』っていうかそんなところで、サトゥルヌスはガイア様の子供とか言ってるし。あの二人似ても似つかないどころか、片や天使か女神かって程の美女、片や対極ともいえる骨人間。でも、姿なんてのはシュウゴウテキムイシキがそう認識しているだけだとか、私達にはどんな姿ででも認識させられらしいけど、今のが気に入ってるし、コチャクは無駄な制約を受けるから見たいように見させているだけ、とかね……」
「シュウゴウテキ……ナニ? コチャク? さっぱり分からんが……」
私も知らないから答える事は出来ないわね。それにもうそろそろオウカも怒り出すだろうから切り上げなきゃ。
「ちょっと話が逸れちゃったわね。とにかく、母さんの精神が死んだ原因はあいつ。でも、母さんの精神を蘇生させたのも同じくあいつなの。かなりの部分を端折るけど、あいつはこう言った。『三年前の事は自分にも重大な責任がある。償いになるとは思っていないが、マレリアの精神を蘇生する』って。当然私は、さっさとやれって言ったわ。ただし」
「……ただし?」
「ただし……」別に言ってしまっても構わない筈の事。でも、何故か喉元から先に言葉を発することが出来ない。頭の奥の方から言わない方がいいって強力に咎められているようだわ。
「おい? どうしたんだ?」
「え? あ、ごめん、えっと」クリガンに促されると、まるで私じゃない何かが私の口を使って喋っているかのように流暢に答えた。「ただし、母さんの精神を復活させる為には私の魔力が必要だった。魔力自体は誰のでもいいんだけど身内の方が断然成功率が高いらしい。当然私は魔力を差し出した。すぐにサトゥルヌスの妙な儀式みたいなのが始まって、程なくして無事母さんの精神は復活したわ。でも、代償って言うかなんていうか……私の魔法はほとんど性格が変わっちゃったの。補助魔法は威力が桁違いに強力になったし、パージフレアはかなり長い時間相手に纏わりついてダメージを与え続ける。で、極めつけなのは、回復魔法は効果が完全に逆転してるわ」
「……効果が逆転!? そりゃつまりアレか? お前にリカバリされると回復どころかダメージ食らうってことか?」
「そうよ。いつまでこのままなのかサトゥルヌスも分からないって言ってた。これで、何故私が補助魔法担当でオウカが回復魔法担当か分かったでしょう? 私だって回復魔法でオウカに劣るなんてこれっぽっちも思ってなかったわ。でも、今は回復魔法を使いたくても攻撃魔法になっちゃうの」
「お前な……そういうことは先に言えよ。お前から回復がありえないって分かってなきゃ、こっちはお前の回復魔法も織り込んで動いちまうじゃねえか」
「ごめん……なんか、こんな事言ったらクリガンが怒って帰っちゃうかもって……。だって、こんな無茶苦茶な話、普通なら信じないでしょ?」
「ま、確かにな。お前がもともと与太話が大っ嫌いだって知ってなきゃ、何を言い出したんだって思うのが関の山だ。だがな、俺とお前の付き合いじゃねえか……他には何も隠してないだろうな?」
「ないわよ。私が隠していたって認識しているものはね。ただ、時間がないからまだ話していないことがたくさんあるわ。例えば、三年前の事を仕組んだ奴らのこととか」
「ほう? そりゃ一体誰なんだ?」
「よく知らないけど、マレッセン・ドグマとかいう奴が関わってるとかなんとか。今はグレシアスとかいう潜りのギルドの総帥らしいわね。これが終わったら絶対に探し出して落とし前つけさせてやるわ」
「……なんだと?」
私はマレッセンだとか名前すら聞いた事もない。そういう奴がいるらしいという程度の認識しかないから世間話程度にさらりと言っただけで、まさかクリガン


