#31 闘将達 [ミュゼリア・3年前]
posted by GEM at 2005年12月24日 23:30
キュリアスロッドに触れられたマレリア、いいえ、デスは、まるで凍りついたかのように動きが止まり、しばらくはピクリとも動かなかった。あまりにも思いがけない衝撃は、例え神であっても戸惑い咄嗟には声すら出せないものなのだろうか?
偶然マレリアの一番近くにいた私は、マレリアの様子を心配しながらも何が起きたのか咄嗟には理解出来ずに見ていることしか出来なかった。かなり長い時間マレリアを見ていた気がするけど、実際には一秒が過ぎるか過ぎないかのうちにマレリアの膝が折れた。その場で崩れ落ち、そのまま突っ伏して地面に頭を叩きつけそうになる。私はギリギリのところでマレリアを受け止めた。なんとか上半身や頭が地面に叩きつけられることは避けられた。でも、マレリアの意識は全くない。
「マレリア!? ……ミュ、ミュレカン神様! 何故ですか……?」
ミュレカン神様の行動が信じられなかった。まさか、ミュレカン神様は本当にデスもろともマレリアの精神を壊してしまったのだろうか? キュリアスロッドに触れられたものは狂気に落とされ、のた打ち回りながら死んでいくはず……。でも、マレリアは、狂ってしまったというよりは心が壊れてしまった廃人のように見える。
戸惑いながらもとにかくマレリアに声を掛け続けていたところへ、ミュレカン神が私に言った。
「汝はこのロッドのことを知っているようだな。確かに、このロッドに触れられたものは正気を失う。少し違うとすれば、本来の使用者である我々が用いた場合、狂気に陥って後に精神を破壊するなどと言う無駄な順番などない。直接精神を破壊し始める。だがよく聞いて欲しい。私はマレリアの精神を攻撃したわけではない。マレリアの精神は、既に死んでしまっていたのだ。身体だけが生きている状態、植物状態のようなものと言えば分かるだろうか? 残念だがマレリアにはもはや破壊されるような精神がないのだ。私はこれを使ってデスの精神を破壊したのだ」
「死神の精神を……。では、死神は追い返せたのですか?」
「まだ油断するのは早いだろうが、デスの気配は瞬時に掻き消えた。少なくとも、デスの精神に致命的なダメージを与えたはずだろう。私の理解の範疇では、このロッドは相手が誰であっても精神を破壊する。触れられた者が神格を持つならば、神界に逃げ帰ることのみで精神の破壊を免れる。無論、人であればインカの赦し以外に助かる術はない」
ドーソンの相手をしているチェイピン、グリハラ、エリオ枢機卿、そしてジンメイの相手をしているマグダル、リーゼッタ枢機卿。皆がこちらの様子を気にかけているようだけど、どんどん激しくなるドーソンとジンメイの攻撃を防ぎながら最後の一撃を放つ隙を窺っているみたいであまり余裕はないみたい。でも、ガーリン教皇様はまっすぐにこちらを睨みつけている。こんな顔の教皇様なんて想像もしたこともなかった。表情だけではっきりと分かるほどなんだから、よほど純粋で激しい怒りと悲しみ、なんだと思う。マグダルとジンメイに気を配りながらもこちらに近づいてきた。
「ミュレカン神様……マレリアの精神が既に死んでいた、とは? 一体何故ですか? 死神の仕業なのですか?」
「デスの仕業、と言うべきであろうな。マレリアは自身が生きていることで、死神に無限の魔力を与え、デスの魔術の威力を大きく引き上げてしまうことが分かっていたようだ。そのままの状態がさらに続けば、第二のジンメイが出来てしまっただろう。それに、ジンメイが生きたまま邪転生を施されてしまった事自体にも何らかの責任を感じたのかも知れぬ。マレリアは何とか死神にこれ以上邪転生を掛けさせない方法を考えたのだ。自身が完全に命を絶つと魔法陣の封印効果を失わせてしまうが、精神だけであれば、死神の魔力の威力を引き上げることはないが封印は保たれる」
「だから……マレリアは精神だけの自殺を図ったと? そんな……」
私に上体を抱えられているマレリアの目には全く精気がない。かなり弱いけど確かに呼吸をしているから生きてはいるんだと思う。でも、心が死んでしまったマレリアはこれから先、何も感じることもなく生きていかなくちゃいけないんだろうか? 窮屈そうに見えたマレリアの足を直してあげながらそんな悲しいことを思っていたら、ふと、優しい、癒しの力に包まれた。ガーリン教皇様がマレリアにホーリーバイタル*1
を掛けたのだ。でも、マレリアの左の手は指が全て裂けていてざくろの様になっているし、鎖骨や肩甲骨も剥き出しのまま……かなりの出血みたいで血に染まっていない肌は青白く変色してきている。こんな激しい損傷は治癒魔法だけで何とかなるものじゃない。ましてや、マレリアは冒険者じゃないから神官様の加護もないし、このままじゃ、結局命を落とすのは間違いない……。
「ガーリン、話は後にしよう。マレリアの外傷だが、イアだけでなくザスも力を貸すと言っている。汝は魔力の続く限り治癒魔法を掛けてやってくれ。治癒魔法に対してザスが祝福を施してくれるそうだ。だが、いくらザスの祝福を受けられると言っても限度がある。いきなり傷がふさがったり損傷した骨や筋肉組織が一度に治ったりはしないだろう。ゆっくりした間隔で何度でも掛けるんだ。頼めるな?」
「もちろんです。ですが、私が聖職者として信仰を捧げていたのはイア神様です。大丈夫でしょうか*2
?」
「今は話している時間はない。ガーリンよ、何も案ずるな。汝ら聖職者達の守護女神を信じるがよい」
ガーリン教皇様はすごく辛そうな表情なのにしっかりとした声で「わかりました」と短く答え、私とマレリアの傍らに立った。そして、イア神への祈りの印を切り、続けてザス神への祈りの印を切ってから正式発動のリカバリの詠唱を始めた。表情とは裏腹にとても落ち着いた低い声だった。慎重に確実に発動させようとしているんだと思う。私はマレリアに「頑張るのよ」「今ガーリン教皇様がイア神さまとザス神様の祝福と共に怪我を治してくださるわ」と、できるだけ声を掛け続けていた。
ふと見ると、ミュレカン神様は今度はチェイピンやグリハラの背後に立っていた。
「……汝らもすでに気づいているだろう。このままドーソンの相手を続けてもいずれは汝らが負ける。邪転生を施された者はその不死の特性ゆえに驚くべき速さで成長してしまうのだ。闘えば闘うほど誰も勝てなくなっていく。一撃でドーソンの体をバラバラにして火を放つことが出来れば別だが、それも無理だろう」
酷い言葉だった。何とか愛弟子を楽にさせてあげたいという一心で弟子と戦っているのに、ドーソンの方はやればやるほど強くなっていつかは無敵状態ってことになる。最初はチェイピンとグリハラの二人がかりできっとドーソンを開放してあげられるんだろうと思ったけど、今では二人がかなり押されているのが素人目にもはっきり分かる。
「そういうことですか……。いくらゾンビになってしまったとは言え、なんでドーソンがこんなに飲み込みが早いのか不思議だった。でも、そんなオチがあったなんて……。悔しいですが、私とグリハラがこいつに追い越されるのは時間の問題。こいつを、楽に……してやってくださいますか?」
チェイピンの絞り出すような声にミュレカン神様は頷いた。
「二人とも下がれ」 ミュレカン神様が言うと、二人は同時にミュレカン神様の後ろに下がった。「ドーソンよ、もうこれ以上戦う必要はない。今、汝を蝕む悪霊を祓ってやろう」
ドーソンがその言葉を聞いている様子はない。私の目では追いきれないような速さでまっすぐにミュレカン神様に攻撃を仕掛けた。でも、ミュレカン神様の姿はすぐに消えた。そして、消えたと同時にドーソンの背後に立ち、キュリアスロッドでドーソンに触れた。
こんな悲しくて幻想的な光景、二度と見たくない。そう思った。ロッドが体に触れた瞬間、ドーソンは瞬時に灰となってチェイピンやグリハラ、そしてその背後にいたエリオに降りかかった。
「うわぁ!」「きゃああ!」グリハラとエリオ枢機卿が驚きの声を上げた。一瞬にしてぶちまけられた灰は、もうかなり明けてきた空と魔法陣から立ち上る光に照らされてとても綺麗だった。その美しさは、ドーソンの最後の『何か』なのかもしれない。その『何か』は多分、灰を全身に被って言葉もなく両手両膝をついたチェイピンには伝わったのだと思う。
「……ドーソン。最後は見事に散ったものだ……。私の最大の弟子にして私の最大の強敵、どうか安らかに……」
ただそれだけの言葉を呟く間に、灰はキラキラと風に吹かれるようにして宙に舞い、そして消えてしまった。グリハラが無言のままチェイピンの肩に手を乗せて励ますように肩を揺さぶっていた。エリオ枢機卿は座り込んだりしなかったものの、両手で顔を覆い肩を震わせていた。
「どうして、こんなことになってしまうの?」
気の強そうなエリオ枢機卿のとても弱々しい声が顔を覆う両手を通して聞こえる。でも、ミュレカン神様は非情ともいえる言葉を投げかけた。
「エリオであったな。泣いている場合ではない、ガーリンと共にマレリアに治癒魔法を掛けるんだ。汝の治癒魔法にもザスが祝福を与えるだろう。急げ」
「いいえ、待って下さい……リーゼッタ枢機卿、マグダル様の補助を私と代わってください。ジンメイの最後、見届けないと……」
涙を拭きながら両手を下ろし、リーゼッタ枢機卿の位置へ足早に移動すると、二人は補助魔法の切れ目を狙って入れ替わった。
今度はリーゼッタ枢機卿が私の方へ走ってきた。
「……これは、素晴らしい……」
開口一番、全裸のマレリアを見てそんなことを言うから少しびっくりした。
「いえいえ、傷の回復具合のことです。もちろん、まるで女神のような美しさだと心から思っているのも事実です。私の眼には眩しすぎるほどに……。ミュゼリア、何か彼女に掛けて上げられませんか?」
「そうだったわ! 私どうして気がつかなかったんだろう。ゼッタ、マレリアを支えてあげて」
さっきまでは見た目にあまりにも重症で何かを掛けてあげるなんて思いもよらなかったけど、今は凄惨な印象がずいぶんと和らいできている。だからリーゼッタ枢機卿も傷よりも体全体に目線がいったんだろう。リーゼッタ枢機卿にマレリアの体を支えてもらってから、バックパックにしまってあった青いマントを取り出した。スオミ中央議会召集時の正装で普段は出しちゃいけない決まりだけど、そんなことは言ってられない。
「猊下……微力ながらお力添えさせていただきます」
リーゼッタ枢機卿が言うと、ガーリン教皇様は頷いた。額には大粒の汗がにじんでいる。かなり消耗が激しいようだけど、その分の効果は十分に出ている。どう考えても医術の力以外では処置不可能なざくろの様に裂けてしまった手の平が回復してきているし、同じように鎖骨も確実に体内に戻っていっている。リーゼッタ枢機卿も治癒魔法の詠唱を始めた。
分かっていたことだけど、いよいよ私に出来ることは何もなかった。死神は追い払えたみたいだし、最後に残ったジンメイに何らかの状態異常を引き起こす魔法を掛ける気にはなれなかったから。エリオ枢機卿はかなり遠慮なく立ち回っているけど、旧知の仲だからこそ早く楽にしてあげたいという想いがあるんだと思う。それでも彼女の頬を伝う涙が途切れる様子はない。どれほど辛いことだろう……。
「皆、聞いてくれ。最後はあの者、ジンメイだ。相手をしているマグダルも全く有り得ないほどの強さなのだが、ジンメイのあの強さは何と表現したらいいのか。タリス*3
も私に言っているほどなのだ。神界で勝負をするならともかく、このマイソシアで一対一で勝負をしたらマグダルにもジンメイにも勝てる気がしないと……」
「な!? そんな無茶苦茶な……。我らが信仰申し上げるタリス神様でも勝てぬ人間が、ここに、二人もいるというのですか!?」
グリハラがの声が上がる。チェイピンもまさか信じられないといった表情でミュレカン神様に視線を投げかけている。
「それどころか、私もタリスと同じ意見だ。私は今ハデスの力も借りているが、それでも一対一では到底勝てる気がしない。あの二人の動きは見事などと言うものは既に超越して不気味なほどだ。実際、キュリアスロッドがなければ打つ手が無い。私がこう言うのは本来慎むべきだろうが、何故あんな者達がマイソシアに存在しているのか……」
この二人は、神様になんて事を言わせるんだろう! それほどの男が二人もいれば、マイソシアで最強のギルドって言うのも頷ける。私は思わず言った。
「でも、あのままにしておけばきっとマグダルもいつかやられてしまうのでは?」
「その通りだ。そうなる前に動ける者が全員でかかれば、いくら鬼神の如き強さとは言えどもキュリアスロッドで触れるぐらいの隙は生まれるだろう。そこを狙うしかない。皆、協力してくれ」
信じられない言葉だった。全員で襲い掛かってやっと出来る様な隙を突いて、キュリアスロッドで触れるのが精一杯とでも言わんばかり。私は、覚悟を決めた。ジンメイに恨みはない。でも、そんなことを考えていられる余裕はなさそうだ。グリハラとチェイピンもきっと覚悟を決めたと思う。ところが。
(全員手を出すな!)
マグダルが精霊話術で全員に告げた。
(絶対だ! これは俺の師匠越えだ!)
悲壮な声だった。でもミュレカン神様はそれを認めなかった。ひときわ厳しい口調で闘い続けるマグダルに言う。
「だめだ! 私がデムピアスの身体を借りている間だけしかこのキュリアスロッドを振るえぬ。デムピアスの身体には既にかなりの無理を強いてしまっている、あと十分ももたないだろう。それに、師匠越えと言ったが汝は既に何度もジンメイに致命傷を与えている! ジンメイが倒れぬのは邪転生の魔術ゆえの事、それ以上の闘いは師匠越えなどと呼べるものではない! もう十分だ!」
(冗談じゃない、邪魔をするな!)
マグダルがそう言って再びジンメイに立ち向かった直後、私はつい小さな悲鳴を上げてしまった。無表情のジンメイの一撃がマグダルのみぞおちを貫いていた。赤いクローアームの刃先がマグダルの背中まで貫いている。信じられない……。ジンメイの強さは遂にセイリュウ様のスケールアーマーまで貫いてしまった……。
「ごぼ……ぐ……が……」
みぞおちと背中だけじゃなく、口からも鮮血が噴出した。ジンメイの左手がマグダルの首に掛かった。そして、クローアームをみぞおちに突っ込んだままマグダルを持ち上げた。ものすごい力で締め付けているのが遠めに見ても分かる。
「「マグダル!」」
グリハラとチェイピンがほとんど同時に叫び、走り出した。ミュレカン神様も続いた。エリオ枢機卿は必死で治癒魔法をマグダルに掛けている。私はやっぱり何も出来ない……。いえ、あるわ。
「デイズハーモニィ!*4
」
ジンメイの締め上げる左手の力が緩んだようだった。マグダルは震えながらもみぞおちを貫いているジンメイの右腕から自身の体を抜いた。抜けると同時に少しだけだけど腸のようなものが傷口からずるりと出てきている。あれでまだ自力で立っているなんて信じられない!! そして、それだけじゃなく、こう叫んだ。声なんて出せるわけがないから精霊話術で。
(く……くるな! 頼む! あと一つだけ、師匠に見てもらいたいんだ!)
「ふざけるな! これ以上見ていられるか! もう誰も死なせない!」
チェイピンの声が響いた。と同時ぐらいのタイミングで一際大きな治癒魔法の光ががマグダルを包み込んだ。エリオ枢機卿が何事かと振り返った方を見ると、マレリアに治癒魔法を掛けていたガーリン教皇様とリーゼッタ枢機卿が今だけマグダルにその治癒魔法を掛けたのだった。マグダルの傷口が少し小さくなったように感じられた。マグダルは口の周りの血糊をぬぐい、それを払った。
「へ、あ、ありがてぇ……。これで、もう少し動ける。し、師匠……。これが、俺の、切り札です」
そう言うと両足を開き腰を一段低く構えた。痛みのせいなのか肩が震えているけど、それでも深呼吸を一つして、眼を閉じた。
ミュレカン神様はその様子を見て、ジンメイに襲い掛かろうとしていたチェイピンとグリハラの前に出て二人を制した。そしてマグダルに言った。
「いいだろう、マグダル。だがその一撃のみだ。それ以上は待てぬ。でなければデムピアスが命を落とすことになる」
マグダルは眼を開いた。
「わかった……」
もう一度呼吸を整えると、右腕を正面に構え、そして、みぞおちに大怪我をしているとは思えないような凛とした声を響かせた。
「焔帝招来! 我が右にありて敵を焼き払え!」
言い切ったと同時にジンメイに掛けたデイズハーモニィの効果が解けた。マグダルは歯を食いしばり必死の形相を浮かべ、対するジンメイは戦っているとはまるで思えないような無表情なまま。二人はそれぞれ相手との距離を瞬時に詰めた。何が起こったのか、私の目には速すぎて分からない。ただ、二人の距離が詰まった瞬間にマグダルは吹き飛ばされ、ジンメイの左腕は炎に包まれていた。思わず近くにいたグリハラに聞いた
「今、何が起こったの?」
「……私の目でも追いかけるのがやっとでしたが、結果としてマグダルの最後の一撃はマスターの左腕で払われ、マグダルは蹴り飛ばされた、という事です。だが、マグダルの奴、いつの間にこんな技を編み出していたのか。どうやらあの技は触れたものは何でも一気に発火させるようです。マスターの発火が腕だけで済んでいるのは力の差なのか、それとも受けられてしまったことでマグダルの技が完全に決まらなかったのか。その辺は分かりませんが」
ジンメイの腕の青白い炎は少しずつ勢いを失っているけど、それでも顔面左側や金髪の髪がどんどん炎に焼かれている。驚いたことに、ジンメイは自身を焼く炎をものともせず、さらにマグダルとの距離を詰めて容赦なく襲い掛かろうとしている。
「だめだ! これ以上は待てん! いくぞ!」
ミュレカン神様が駆け出しながらそう言うまでもなく、チェイピンとグリハラも後に続いていた。まさに三人が駆け出した瞬間、私の目には信じられないものが映った。ジンメイの背中に翼が見える!
「え!? 何あれ!」
「なに!? 二人とも待て、止まれ!」
ミュレカン神様も何かに気づいたようで、駆け出してすぐにチェイピンとグリハラを止めた。それだけじゃなく、ジンメイもまるで呼吸を合わせるように止まってしまった。グリハラが目を見開いて怒りを表した。
「何事ですか! 行くぞと言ってみたり、待てと言ってみたり! 確かに貴方は神でしょうが、俺はあんたの兵隊じゃない!」
「待つんだグリハラ! あれが見えぬのか?」
「何が見えるのですか! マスターの動きが止まった今こそ好機ではないですか! もうマスターを救えないのなら、せめて早く開放してやってください!」
え? グリハラには翼が見えていない? それだけじゃない、チェイピンも同じように怪訝そうな表情をしている。エリオ枢機卿は蹴り飛ばされて大の字に倒れている瀕死のマグダルに治癒魔法を掛けているし、リーゼッタ枢機卿もガーリン教皇様もマレリアの回復に専念している。つまり皆気づいている様子がない。私の眼は普通の人には見えないものが見えたりするけど、どうやら翼は私とミュレカン神様にしか見えていないようだわ。
「とにかく待て!」
ミュレカン神様がそういった瞬間、翼がジンメイから離れるように動き出した。ジンメイの背後から一人の女性の姿が現れた。翼はその女性のものだったのだ。どちらかと言うと童顔なんだけど、清楚で慈愛に満ちた瞳に小さな鼻、ぷっくらした唇、顔も腕も、そして輝くような純白のキトン*5
の隙間から露出する肌もまるで透き通るように白く、腰まで伸びた髪は対照的なつやのある黒髪、頭上には光る輪のような何かが浮いていてとても綺麗……。
「なんて綺麗なんだろう……でも、あれは一体なんですか?」
私は同じく見えているらしいミュレカン神様に聞いてみた。
「分からぬ。天使の外見に似ているが、あの頭上の光から発せられる光は私の神格を遥かに上回る力を感じる……。ミュゼリア、汝には見えているのか?」
「はい」
グリハラが私に言う。
「どういう事です? ミュレカン神様、ミュゼリア様、何が見えているのですか? 私達には見えない誰かがあそこにいるのですか?」
私がそれに答えようとしたとき、翼の女性が私達のほうを見て右手の人差し指を口の前に立てた。そのサインが「静かにして欲しい」なのか「黙っていて欲しい」なのか分からないけど。
「えっと、あの、……見えるって言うか、その、ちょっと待って」
翼の女性は黙っていて欲しいのかもしれないので、とりあえずグリハラには言葉を濁した。翼の女性はジンメイの正面に立ち、彼の左腕から立ち上る炎を意にも介さずジンメイの首に腕を回して口づけをした。すると、炎が一瞬で消えてしまった。それだけじゃない。信じられないことが起こった。もう意識はないはずのジンメイの声が聞こえてきた。
「オレイア……お前がどうして……」
ジンメイの絞り出すような声と同時に、無表情だった顔にも表情が浮かんできた。それはとても苦しそうだけど、でも、人のそれだった。
「マスター!?」チェイピンが叫んだ。「まさか、意識があるのですか! オレイア様がどうかされたのですか!? マスター!!」
「ジンメイ! あなた、意識があるの!?」エリオ枢機卿も同じように声を上げた。「ジンメイ、お願い! 意識があるなら答えて!」
もちろん、チェイピン以外も皆一様に驚いている。もう諦めていたジンメイの意識があるなんて! でも、オレイアって誰だろう? あの翼の女性のことなんだろうか?
「あの、グリハラ、教えて欲しいんだけど、オレイア様ってどなた?」
「マスターの亡くなられた奥様です」
「……その、オレイアさんって言う人は黒い長い髪でちょっと童顔っぽい方?」
「そうですが……ミュゼリア様、どうしてそれを? オレイア様にお会いしたことがあるのですか? 亡くなられたのは十五年も前のことですが。まさか、そこにオレイア様がいらっしゃるのですか?」
「えっと、ちょっと待って」
「……」
私はひとまずグリハラとの会話を強引に終わらせた。間違いない、あの女性はオレイアだわ。ミュレカン神様も私とグリハラの会話に聞き耳を立てていたみたい。ちらりと私を見て頷いた。
(その通り、彼女は私にもオレイアだと名乗っている)
(彼女と話が出来るんのですか?)
(あぁ、姿が見えるのは私と汝だけの様子だが、声は私だけしか聞けないらしい。オレイアはこう言っている。ジンメイはやはり助けられない、ジンメイがどうしても残しておきたいと言う言葉を聞いてやった後、キュリアスロッドで開放してあげて欲しい、後は任せて欲しい、だそうだ)
ジンメイが再び口を開いた
「わかった……」
何に対してなのか分からないけど、その言葉はオレイアに向かって言ったみたい。オレイアは言葉に頷き、ジンメイの手をとってマグダルの方へ歩き出した。
「マグダル! 立て! やられるぞ!」
チェイピンが叫ぶ。オレイアの姿が見えていないチェイピンには、ジンメイがマグダルにとどめを差そうとしているように見えるのだろう。ミュレカン神様がチェイピンとグリハラに言った。
「大丈夫だ。信じられないことだが、ジンメイは今、意識を取り戻している。さぁ、彼らの傍に行ってやれ……」
チェイピンとグリハラは何か釈然としない様子でお互いに顔を見合わせたが、すぐにジンメイとマグダルの傍に駆け寄った。ミュレカン神様、エリオ枢機卿、そして私も後に続く。
ジンメイがマグダルの傍らに屈み、その周りに私達が立った。仰向けに大の字になっているマグダルは呼吸が浅く、そして速くなっていた。近くで見ると内臓に重大な損傷を負っていることは一目で分かる状態で、どこからどう見ても致命傷となっている。エリオ枢機卿がいくら治癒魔法を施してもその致命傷までは治りそうには見えず、遂に魔法での治癒を諦めた。
「だめだわ! 魔法じゃ全然手に負えない! 急いで病院へ連れて行かないと!」
でも、マグダルは穏やかな声で言った。
「いいんだ……。俺はもう……助からない。そうですよね、師匠、オレイア様……」
「な、お前まで」チェイピンが言う。「オレイア様がここにいるのか? それとももう意識が混濁して……」
ミュレカン神様がそれに答えた。
「いや、違うのだチェイピン。オレイアと言う女性がここにいるんだ。だが、オレイアの姿が見えているのは私とミュゼリア、ジンメイ、そしてマグダルだけだ」
マグダルは言った。
「そうなのか……。皆見えているわけじゃないのか……。チェイピン、グリハラ。オレイア様はとてもお綺麗だ。十五年前と少しもお変わりなく、いや、あの時以上に……」
私に見えているオレイアはマグダルを聖母様のような優しい目で見ていた。その視線だけで癒されるようなとても自愛に満ちた眼で。
ジンメイが口を開いた。辛そうだけど、しっかりとした口調で。
「マグダル、お前、強くなったな……。どうだ、不死身の俺と本気で拳を交えた感想は」
「……とても恐ろしかった。ですが、体の奥底から湧き起こる喜びの方が大きかった……。師匠の仰っていた、武術家同士にとっては……闘いの先にある本気の拳でのやり取りこそが……最高の言葉だということがよく……分かりましたよ。でも、やはり、師匠には適いませんでしたね」
「いや、マグダル……、お前は俺を超えたよ。何度も致命傷を食らったのは俺の方だ。骨野郎の変な術のせいで死ななかっただけのこと……。すまなかったな、マグダル。俺はほとんど意識がなかったが、それでもお前との闘いが始まっちまってからは、あともう少しだけ、もう少しだけって、闘いを求める本能のほうが勝っちまって、俺もこの身体にとりついた悪霊に混じって本気でやっちまってたんだ。実際、俺もお前も正体は喧嘩バカだしな……許せ、マグダル」
「許すも何も……感謝しているぐらい……ですよ……。俺は、真の武術家だけが見ることが出来る光の先を垣間見た、そんな……気がするのです……。では、師匠……俺は先に……行きます……」
「あぁ、俺もすぐに行くさ。ドーソンと一緒に、先に地獄の鬼を飼いならしといてくれ。今のお前らなら楽勝だろう」
「……我らをお導くくださる偉大なるタリス神よ……願わくば、我が転生の暁には再びシャオリンの門戸に我を導き給え……」
「それは地獄制覇の後だ、マグダル。なに、俺達ならすぐさ。そして、またマイソシアで会おう」
マグダルは最後はジンメイに笑顔を向けただけだった。そして、静かに眼を閉じた。お墓の幻影も現れない。通常の冒険者ならば有り得ない致命傷による完全な死は、もはや蘇生魔法も受け付けないだろう。チェイピンがマグダルの傍らに膝をついて肩を揺さぶった。
「マグダル? おい、マグダル、嘘だろ?」
グリハラもマグダルの傍らに膝を落とした。そして、両腕は振るえ、うな垂れた顔からは光るものが落ちていた。
「チェイピン……。泣くな。マグダルはな、これで終わったわけじゃねぇ……と、言っちゃいけねぇんだった。とにかく、こいつのことを思うなら、こいつの故郷に相応しく馬鹿騒ぎして送ってやってくれ」
「……レビア、ですか……そうですね。分かりました。でも……師匠! どうしてマグダルを殺す必要があるんですか!?」
「んな必要があるわけねぇだろ。誰が好き好んで愛弟子を殺すかってんだ! 違うかチェイピン! 答えてみろ!!」
突然のジンメイの激昂に皆驚き、チェイピンはまるで怯えるように師匠の目を見ていた。そしてすぐに顔をぐしゃぐしゃにして泣き出した。そう、チェイピンも失ったんだ。ついさっき、ドーソンという最愛の弟子を。
「……何故なんですか。一体何故、俺たちがこんな目に遭うのですか! シャオリンはたった三人だけになってしまったんですよ!?」
「二人だ。間違えるな」
「え?」
「俺を数えるな。俺はもう死んでる。オレイアが少しだけ時間をくれたんだ。俺が完全に悪霊になる前に救ってくれたが、死んだという事実は変わらん。今は邪転生を逆手にとって話しているだけに過ぎない。それからな、何故俺たちがこんな目に遭うか、なんて考えるな。俺たちは武門、敵がいれば立ち向かう、それだけのこと。残念だが俺たちがまだ未熟だった、それでも結果として全体では辛勝を得た。それ以上でも以下でもねぇ。分かるな? さあ、俺もそろそろ行かなきゃならん。いや、帰るといった方が正しいな」
私とミュレカン神様の目には、こんな風に映っていた。オレイア様はチェイピンとグリハラを背中から優しく抱いていた。そして、泣いていた。
「チェイピン、そしてグリハラ、頼みがある」
そういうと、黙り込んでしまった。チェイピンとグリハラが同じタイミングで頷いたりしているところを見ると、恐らく三人だけで精霊話術で話をしているのだろう。
ほんの一分程だっただろうか、私達は三人を見守っていた。ミュレカン神様が言った。
「ジンメイ、そろそろデムピアスの体がもたない」
「分かった。リーゼッタ、いるか?」
(ええ、います)
リーゼッタは全員に分かる精霊話術で答えた。まだマレリアへの治癒魔法が続いていて手が離せないらしい。
(ジークリッドとルクセンに特によく伝えてくれ。ミーナへの支援等は一切不要、俺が死んだこともシャオリンの事も何も言うな、全てチェイピンとグリハラに任せてある、とな)
(ジンメイ、それでは我が国王ジークリッドが納得しないでしょう。せめてミーナ様が成人されるまでルアスから生活のご支援を)
(不要だ)
(……わかりました。間違いなくお伝えいたしましょう)
(シャオリンのギルド登録もそのままにしておいてくれ。特にミーナに何か情報を与える必要もない、ひたすらそのままにしておいてくれ。そんなギルドはいくらでもあるだろう?)
(えぇ、問題ないでしょう)
(最後に、ジークとルクセンに……エリオ、お前にもだな。お前達に会えて、俺は救われた。お前達がいなかったら俺は荒んだ心に弄ばれてゴミみたいな一生を送っていただろう……。心から、感謝している)
エリオ枢機卿は涙を堪えながら精一杯叫んだ。
「柄にもない事言わないでよ! それに、ジークとルクセンに伝えてですって? 自分で言えばいいじゃない! 精霊話術はまだ使えるんでしょう!? ねぇ、ジンメイ、お願い、そんな事言わないで。そのままでも生きていられるんじゃないの?!」
(……もうルアスまで精霊話術を飛ばせる力なんて残ってねぇよ。それにな、今はオレイアの力で悪霊に飲み込まれずに済んでいるが、このままだといくらオレイアの力があっても悪霊に飲み込まれるのは時間の問題だ。俺を亡者共の奔流に突き落としたいのか?)
「そんな……ミュレカン神様、お願いします。ジンメイを助けてください。どうか、どうか……」
「今ジンメイが言ったとおりだ。亡者から開放してやらねばジンメイは永遠に苦しみ続けなければならなくなる。開放してやらねばならん」
(そういう事だ。さすがにもう、これ以上は俺も辛くてたまんねぇ。悪いな、エリオ……そんな顔するんじゃねえよ。さめざめと送られるなんざ、それこそ俺の柄じゃねぇ。俺の強さにあきれ返りながら見送ってくれ。喧嘩バカの最後をな。さぁ、ミュレカン神よ、やってくれ)
ジンメイはそういってマグダルの横に身体を横たえた。
「承知した」
ミュレカン神様が立ち上がりキュリアスロッドを構えると、エリオ枢機卿はジンメイの脇に座り上半身を抱き上げた。するとオレイアが、今度はエリオ枢機卿を背後から優しく抱き、背中に顔を押し付けて肩を震わせていた。
「ジ……ジンメイ……。最後ぐらい……サービスしてあげるわ……。私に抱き上げられた男なんて……この世には……いないんだから……」
(おぉ、いいねぇ……。最後は『イアの化身』の腕の中か、悪くねぇ、こりゃ悪くねぇぜ。オレイアもお前に感謝してるよ。焼餅焼かれるかと思ってあせったけどな)
「そんな、わけ……グス……ないでしょ……。私とオレイアの方が……あんたより仲が……よかったんだから……」
(そういや、そうだったかもな……。なぁ、エリオ。いつだったか、俺言ったよな……。パーティーが全滅するかもしれないってピンチになったときだ。俺を殺したけりゃ古代神話の武器でも持ってきやがれってさ。俺はその言葉どおり、古代神話の武器によってこの世を去るんだ……。なっ、言った通りだろうエリオ、俺はこれぐらいのモンを持ち出さなきゃ殺せねぇってよ……)
「うん……うん……」
エリオ枢機卿が嗚咽なのか返事なのか分からない消え入りそうな返事で答えると、ジンメイは、満足そうに眼を閉じた。チェイピンとグリハラも涙を拭くこともなくジンメイの手を取ってその名を呼んでいる。
(へへ、最愛の弟子と最高の仲間に看取られて逝けるなんてな……俺の人生、いろいろあったが、悪くねぇ、悪くねぇぜ。……じゃ、帰るわ。達者でな……)
「うん……またね、『地獄の闘将』ジンメイ・オフィロン……。ギルベルトによろしくって……伝えて……」
(ああ……)
ミュレカン神様は、エリオ枢機卿の腕に抱き起こされているジンメイの額にそっとロッドで触れた。
それはまるで、神に認められた聖人が永遠の赦しと祝福を授かるような、そんな光景だった。
ジンメイも、エリオ枢機卿の腕の中で灰になって消えた。結局、スオミの水詠みに請われる形で馳せ参じてくれたシャオリンのみんなは、二人だけが生き残り、一人だけが亡骸を残し、他の者はマイソシアに亡骸す


