#49 怒れる大地 [クリガン]
posted by GEM at 2007年01月28日 23:30
「き、貴様……」
それが起こった時、スルトが咄嗟に出来たことは、呟きのように掠れた驚愕の言葉を吐く程度だ。
「……うそだろ?」
俺だって精々この程度の事を口走って呆気に取られるぐらいしか出来ねえ。そりゃ確かに『そこ』は死角だろうが、普通の神経なら絶対にこんなことは思いつかねえだろう。とにかく俺の知りうる戦い方の範疇を完全に超えている。なんでそんな事をするのか意味がさっぱりわからねえって状況だ。
スルトは地面から数十センチ程度のところに浮いてるんだが、奴の足元にそれはある。いや、いる。
サトゥルヌスが当たり前のようにそこにいやがる。しかも奴の黒いローブや大鎌、ローブの裾から覗く白い骨までもが完全に土の質感と色に化けてやがる。その見た目も驚きなんだが、それだけじゃねえ。サトゥルヌスはスルトの足元に仰向けに寝っ転がってるような形になってるんだが、よく見れば、特に奴のローブを見れば、奴が単純にスルトの足元に寝転がってるわけじゃないってことが分かる。
何故か? あらゆるものは重力に従う。ローブの裾だって同じ事、重力の方向に垂れ下がる。問題はそのローブが垂れ下がる方向だ。まっすぐ、奴の足元に向かって垂れ下がっている。信じられるか? 奴にとっての『下』はどこからどう見ても『奴の』『足元』。夢でも見てるみたいだが、こいつは『地面に水平に立ってやがる』って事になる。
どういう発想ならそういう行動に出るのかよく分からん。俺達の感覚で考えれば足の下に現れたって踏まれるだけだ。だが浮いているスルトはどうやら咄嗟にそれが出来ないらしい。踏みつける事も出来ないスルトはその場から離脱しようと身じろぎしているがそれも出来ないようだ。まあ、そうじゃなきゃ相手の足の下に現れるなんて馬鹿なこともしないだろうがな……。
「息災何よりであるな! 北の木偶よ!」
地面に水平に立つサトゥルヌスは、言い放つと同時に手にする大鎌を自身の頭上に振り上げ、切っ先をスルトに向けた。ついさっきまで完全に大地に同化していた大鎌だが、地面からある程度の高さの部分は瞬時に元の質感と色を取り戻すらしく、夜闇でもうっすらと妖しい光を反射する。
胸の辺りを狙うようにして『下から振り下ろさる』切っ先に対して、後ろに退くことすら出来ないらしいスルトは両腕を交差させてそれを防ごうとした(俺がさっき砕き落としてもすぐに生えてくるような腕なんだから盾代わりにするのも分からなくはない。だが逆に考えればいくら化け物でも体は腕よりは守る必要があるってことなんだろうか?)。
大鎌がスルトの岩石みたいな腕に襲い掛かろうとした刹那、さらに無茶苦茶なことが起こる。何の前触れもなく、まさに突然、何もなかった空間からスルトを取り囲むように大鎌の刃がいくつも現れ、サトゥルヌスが元々手にしている大鎌と共に襲い掛かかっていく。それぞれの刃はまるで個別に意志を持つかのように、四方八方上下を問わずあらゆる方向からスルトに襲い掛かる。
ガシャンッ! ガキンッ!
金属を岩に叩きつけるような音より、金属同士がぶつかり合う音の方が遥かに多い。いくつかの刃はスルトに突き立てられたが、むしろスルトは突き立てられなかった刃で出来た巨大な檻に閉じ込められたかのような格好だ。
「すげぇ……つか、めちゃくちゃだ。なんだあの戦い方は……」と、素直に呆れ返る俺の感覚こそがずれてるんじゃないかって錯覚しちまうような出来事はまだまだ続く。
「……これで封じたつもりか?」
かなりの数の刃が突きたてられたとは全く感じられないスルトの余裕の声が刃の檻の向こうから聞こえてくる。それに応えるサトゥルヌスも嫌味な奴というか。
「誰が封じたと言った?」しかも、そう応えた刹那のサトゥルヌスの姿は既にスルトの足元から消えていて、最初からそこにいたかのようにスルトを『見下ろして』いる。スルトの頭上に浮いているのだ。スルトに突き立てたはずの大鎌もサトゥルヌスの右手に、構えるというわけでもなく普通に握られている。サトゥルヌスは足元のスルトを視界に入れているのかよく分からない。まっすぐに正面を見て、どことなく厳かな口調で続ける。
「どこから忍び込んだのやら知らぬが、私の神界からの転移に便乗して転移してきた事は何も言うまい。むしろ木偶の分際でよくも極僅かな転移の隙に忍び込めたものだと褒めてやろう」
「忍び込む? それは自惚れか? あの程度の雑な転移に紛れ込むことなど造作もないことだ」
「減らず口をつぐむがいい、捕らわれし間抜けなコソ泥め。一体どのような業*1
を用いたのやら知らぬが、おのれは我ら死神だけに授けられている業を掠め取った。今すぐ、唯一神聖なる御名に誓って涙ながらに贖罪の言葉でも述べて返すというのなら多少大目に見てやらぬでもないぞ? さあ、一度だけ聞いてやろう、即刻我が業を返すがいい」
……?
何を言ってるんだ? と不思議に思っていると、ガイアが察してくれたらしい。
(息子が言っているのは、簡単に言ってしまえば息子やその同属の神のみが使える必殺の秘術のようなものです)
(必殺? そりゃまた)随分とガキっぽい話だ、と感想を言う前にガイアが続ける。
(貴方が思い浮かべるような生易しい『必殺』ではありません。彼の業はただ相手の死を念じるだけで即座に理屈抜きに発動するのです。通用する相手は限られますが、ただ死を念じられるだけで途端に命を刈り取られてしまうのです)
(そりゃまた……おっかねえなんてもんじゃねえな)声に出してるわけじゃないが、頭の中でまで小声で呆れ返っちまう。
(それって、死ねって思われただけで必ず死んじゃうってことなのよね?)セリスの驚いた様子が素直に感じられる声が聞こえてきた。俺は精霊話術を使ってないけど聞こえてくるんだから、これも多分ガイアが中継でもしてくれているんだろう。
(その通りです。まさに死神が畏れられる理由の一つとも言えます。もっとも、今はこの世界に死神はいませんのであなた達には縁遠い存在ですが……)
俺はすぐさま聞き返した。だって気になるだろ?
(ガイア、『今は』って言ったよな? そりゃつまり過去には縁があったってことか?)だが、タイミングが悪かったらしい。
(気をつけてください、スルトが応えます)ガイアが言うとほぼ同時にスルトが頭上のサトゥルヌスに応える。
「阿呆か? そう易々と返すぐらいであれば誰がこんな使えぬ神通力などに手を出そうものか」さっきまで刃の檻から抜け出そうとしてたがどう頑張っても無理と悟ったのかジタバタするのはやめたらしく、今は落ち着いた様子でそう言った。言ってる事は余裕がありそうだが刃の檻の中で無数に刃を突きたてられた姿でそう言ってみてもハッタリとすら思えない。
で、ガイアの話を少し聞いただけじゃこの二人の話してることはやっぱりよく分からんが、そんな俺の気持ちなんか当然お構いなしに話は進んでいく。
「……ほう? 死神の業は我らしか使えぬことを分かっているのだな。分かっているのなら何故馬鹿な真似をする?」
「応える必要などない。私は私の考えに従うまでだ」
「よかろう、おのれの愚かさを後悔するがいい」サトゥルヌスの頭蓋骨の目の奥にぽうっと青白い光が不気味に光り始めた。それが何の意味があるのかは当然知らんが、言ってる事から考えれば、多分堪忍袋の緒が切れたんだろう。手にしている大鎌の切っ先をスルトを取り囲んでいる刃の一つに当てて淡々と言う。
「母君より賜りしアダマスの大鎌よ、お前の創造主の授けし奇跡を示せ」
そう言い切った瞬間からスルトが刃の檻の中で、四方八方上下を問わず、輪郭を見て取ることすら出来ないような強烈な速さで叩きつけられ始めた。刃の檻の中で強制的に刃に叩きつけられて転がりまわるってるんだぜ? 見た目だけでもぞっとするし、聞こえてくる音も縮み上がりそうなぐらい痛々しい。
(ひでぇなおい……。どんどんボロボロになってくぜ……。ありゃ一体何が起こってるんだ?)
(無理を承知で一言で言えば、スルトの体に地震が起きているのです)ガイアが再び解説してくれる。
(は?)
(よく分からないでしょうね、地震は大地に起きるものですし。ご理解いただけるか分かりませんが、地震というのは体に微か感じる程度でもそのエネルギーは膨大なのです)
(まあそうなんだろうな、地面を動かすぐらいだからな)
(そうですね。今スルトに打ち込まれたエネルギーを地震に置き換えるならば、マイソシアを三回ほど海に沈められるぐらいのエネルギーです、と言えば伝わりますか?)
(……け……桁外れなのは、よーく分かったわ)セリスだ。声の調子だけでも呆れ返っているのがよく分かる。(無茶苦茶すぎてぜんっぜんイメージ沸かないけどね。でも、それだけの勢いだったら一瞬で木っ端微塵になっちゃうんじゃないの? ボロ勝ちしちゃったらまずいんじゃなかった?)
そう、俺もそれを聞いて思い出した。あまりに圧倒するとどこかよく分からんところに逃げられちまって、次にどこに現れるかわかりゃしねえとかって話だったはずだ。
(そういうことです。ですが、私達の目で見なければ分からない事だと思いますが、これだけの強大な威力で攻め続けてもスルトの再生速度と均衡してしまっています。先ほどクリガンがスルトの腕を叩き落したましたね? ですがスルトはごく当たり前のように腕が再生したのをご覧になったと思います。その繰り返しがあの檻の中で絶え間なく起こっているのです。もちろん見てのとおり全くの無傷と言うわけでもないですし再生はそれなりに力を消費するので、効果がないというわけではないのですけどね……。あの力は私が大鎌に施したものなので複雑な気持ちですが、圧倒などは全然出来ていません。さらに強大な力で再生がほぼ不可能なほどの打撃を与えてもまだ圧倒しているとは言えないのですから)
……あれで全然圧倒してないってのはどういう了見なんだ? 刃の檻からは絶え間なくスルトの体が削り取られる耳障りな音が響いている。いや、削り取られるっていうよりはもっと直接的に破壊されていく音の連続と言った方がいい。
だが……確かにおかしい。あの勢いで壊されていくなら、いくらスルトが巨体だったとはいえ始まって十秒もしないうちに木っ端微塵になってそうなのに、未だに始まったときと変わらない大きさの物体が猛烈に檻の刃に叩きつけられている。つまり、それほど大きさは変わってないってことになるわけで、ガイアが言っていたことを裏付けている。
いずれにしても、スルトの上で大鎌を構えているサトゥルヌス(おそらく、スルトに掛けている力か何かの制御でもしているんじゃないか?)以外は見てることしか出来ないわけだが、オウカはガイアやサトゥルヌスと同じ精度でこの桁外れの力の事を知っているらしい。オウカが言う。
(ガイア、もうそろそろ効果が切れる。どこまでスルトの力を削れたか分からないけど……うまくいきそうかい?)
(分かりません。息子は当然次にどうするべきか分かっているはずでしょうけど、スルトが私達の予想を上回る力を温存していたりするとそれ以前の問題になってしまいます。過去の経験からどの程度の効果があるかを見積もっているのですが、なにぶんとても古い経験しかありませんし、事実予想していた程にはスルトの力を削り取れていないようです。とはいえそれは言っても仕方のないこと、駄目なら駄目で臨機応変に)
不意に、呻き声交じりで苦しそうながらも強烈な怒号が聞こえてきた。
「き、貴様ら……ただで済むと……」
「それはこちらの台詞だスルト。事実、ただで済ませてやっていないのがわからんか?」サトゥルヌスが間髪入れず言った。寒気を覚えるような慈悲の欠片も感じられない冷たい言い捨て方だ。
「……口を……噤むが、いい……、節操なく役立たずばかりを生み落とした、薄気味の悪い地母神から生まれ……子を食い散らかし、挙句、その子に玉座を追われるような……呪わしい愚かなクズめ……*2
」
「北の辺境の田舎で燻っていたお前にはお似合いの程度の低い台詞だな。貴様のような低脳を多少なりとも洗練させてやろうとなればショック療法が妥当というところか。よかろう、ほんの心づくしだ。感謝するがいい」
(なに? あいつ、何をする気?)オウカがなんとなく動揺しているように感じる。
(わかりません……)とガイアが応じたが、サトゥルヌスの低い唸り声を聞いたとたんに何か分かったようだ(オウカ! 対雷撃防御を! クリガン! そこから動かないで!)
(あ? あ、あぁわかっ)と答える間もなく、唐突に俺はガイアの横に移動させられていた。スルトの体が痛めつけられる音がうるさいが、それでも真横なら声も普通に届くかと思い、ガイアに何が起ころうとしているのか尋ねようとした。しかし、ガイアは妙に強張った表情で何かを短く呟いていて話を聞いている余裕はなさそうだ。そして、ガイアがよく分からない言葉で一際大きく何かを言い放ったと同時にサトゥルヌスは左手を上に向け、まるで天を掴むような仕草をして、さらに掴み取った何かを真下のスルトに投げつけるようにした。その瞬間。
ドォォォォン!!!
ただ一発だけ、地響きと共に強烈な轟音がとどろいた。頭の両側を目に見えない塊に打ちのめされたような衝撃を感じ、耳に聞こえる音が急激に小さくなった。というより耳が詰まったみたいに感じる。音で耳がやられたらしい。俺が受けた衝撃はこれだけじゃない。音と同時に体中が突然緊張してガチガチになり、視界が真っ白になった。全身を何かとてつもない衝撃が駆け抜けたようだ。なぜか耳のことばかり気になっているんだが、心の奥底でパニックになって何も考えられなくなった自分も同時に感じる。最後に感じた耳への衝撃の事で思考が止まっちまったみたいだ。
(なんだい今のは!? サトゥルヌスは何をしたのさ!?)オウカの声が響いてきた。やたらとゆっくりしゃべっているように感じる。
(今の業は元々彼の子ゼウスが得た力だったはずなのですが、どうしてあの子が……いえ、それよりオウカ、そしてセリス、無事ですか?)
(私は大丈夫、でもセリスが……ショックで呆然としてるね。気付けする。クリガンは大丈夫?)
(何とか生きているようですが……セリスと同じ状態ですね。こちらも治癒を施します)
そんな会話が聞こえてくるんだが、まるで夢の中で誰か知らない奴がしゃべっているみたいな感じで、しかも二人が言っていることは理解出来てるんだが、理解した内容が手に掬った水みたいに無意識の中に流れて落ちていっちまう、そんな感じがしている。
そんな何がなんだかよく分からない感覚から、不意に現実に引き戻された。
「大丈夫ですか? クリガン」
いきなり目の前に俺の顔を覗き込むガイアの顔が見えた。
「うわ! な、なんだガイア、あんたか……つか、何が起こったんだ?」
「息子が超絶な威力を持つの雷撃をスルトに放ったのです……急いで防御を行いましたが、威力が大きすぎて余波があなた達に影響してしまったようです。息子は少し頭に血が上っているようですね……お恥ずかしいかぎりです」
「そ……そうかい、あんたは無事なのか?」
「私は完全に大地に属する身ですので雷撃は全て無効化します」
「……ん? ちょっと待てよ、スルトの体は岩で出来てたように感じるんだが……その理屈ならあいつにも効かないんじゃないのか?」
「いえ、スルトは見た目は大地に属しているように見えますが、火に属しているのです。継続的に衝撃を受け続けているところに今の雷撃の直撃を受けていますのでさすがに無事ではすまないでしょう……見てください」
ガイアが刃の檻のスルトを指差す。スルトは相変わらず猛烈な勢いで檻に叩きつけられているが、さっきまでと違い檻の隙間から崩れて飛び散る奴の体だった岩の欠片は真っ黒だ。どうやらかなり芯まで黒こげになってるらしい。
「多少はこたえたようだな、スルト。だがまだ終わらぬ。地母神たる我が母を侮辱したのだ。報いを受けるがいい」
サトゥルヌスが言うと同時にスルトを檻に叩きつけていた力が止んだらしい。ズダボロになったスルトが檻の中でぐったりしている。サトゥルヌスが指先でちょっとした仕草をして右手の大鎌を上げると、刃の檻が消え失せ、スルトの体がズシンッと地面に落ちた。同時に、サトゥルヌスがスルトの首に大鎌を引っ掛けていつでも切り落とせる体勢になっている。
「……へ、なんだよ。結局圧倒的だな。あとは首チョンパで俺達の勝ちってかい?」
「いいえ、あなた達の感覚ではそうおっしゃるのも理解できますが、私達はあなた達とは異なり首を切り落としたぐらいでは死にません。それよりクリガン、ここから動かないでください」
ガイアはそう言うとすたすたと地面にうつ伏せに転がっているスルトの前に進んでいった(あと、大した事じゃないが、同時にいつもの慣れた感じの補助魔法が掛けられ始めた。セリスも正気を取り戻したらしい)。
「スルト、もう一度だけ言います。レーヴァンティンは私達に任せてここからは退いていただけませんか?」
体中のあちこちから煙があがっているスルトはどうやら足掻いているように感じるが、妙に不自由そうにのたうっている。だが何かに気づいたらしく動きをぴたりと止めて歯軋り混じりの声を洩らした。
「……クソ! 重力と結界か!」
「そうです。また浮き上がられては困りますし、神界に逃げ帰られてはさらに厄介ですのでね。さて、スルト。私はただあなたに退いていただければそれでよかったのです。レーヴァンティンについても本当にお力になるつもりでした。ですがあなたも仰ったとおり私達は互いに不可侵、私の譲歩や協力を撥ねてあくまでもこの先へ進むというのなら、私はあなたの行動を咎める事が出来ません。しかし私もあなたの都合など何も考慮せず私のやりたいようにさせていただきます。もとより覚悟はできておいでですわね?」
「私は……こ、この先に、用があるのだ……地……地母神如きに……」
「そうはおっしゃいますが、あなたは大地に触れておいでです。大地に身を委ねる者は等しくわらわのしろしめす神通力にひれ伏すのです……。北の破壊神よ、わらわが下手に出ているうちにおのれの傲慢さを改めるべきであったのです」
何やらガイアの様子が変だ。『わらわ』なんて言いだしやがったし、猛烈なまでの不穏な空気を感じる。俺の本能の奥底から「これはヤバイ」って警告が聞こえる。恐ろしいとか怖いとかじゃないし戦士の勘がどうこうってのでもない、とにかくヤバイんだ。なんかヤバそうだから逃げちまおうかと考えてると、気配すら感じさせずいつの間にか横にいたサトゥルヌスが俺を小脇に抱えて数メートル浮き上がり、すぐさまガイアとスルトから距離を取った。軽々と抱えあげられちまう経験なんてないから、妙に新鮮な気分だとか硬い骨に抱え上げられるのは全然心地よくないだとかというどうでもいい事が頭をよぎったが、サトゥルヌスの耳打ちするような言葉がそれを掻き消す。
「十分注意しろ」
「は? ちょ、なんだよいきなり、ガイアは動くなって」
「動くなといったのは私がどうにかすることを見越して無駄に動いて手間を掛けさせるなという意味だろう。母上は本気でブチギレておいでだ、巻き込まれるといくらその防具があっても助からん。それとも死にたいのか?」
(お前が言うか)というのはやめておいた。この親子の感覚と俺達のそれは根本的に違うらしいからな。
「死にたかねえけどさ……。ていうか、おい、な、なんだありゃ?」
ガイアの周りの空気が轟々と渦巻いている。さっきはヤバイとしか感じなかったが、今は感じるどころか見た目からしてヤバイ。ガイアの長い髪と真っ白い服の袖や裾が明らかに重力とは逆の方向にたなびいている。あの様子なら、目が真っ赤に光ってても違和感なさそうだ。
「栄華を極めしオリンポスの祖であるティタンの母たるわらわ*3
に、そなたのような辺境の小僧が楯突くなど無礼千万、格の違いも分からぬ田舎の小僧よ、己の愚かさを呪うがいい!!」
それまでのガイアからは微塵も想像出来ない、ルアス王も裸足なんじゃないかって程の威厳を嫌味なほど感じる口上が終わった途端、妙なことが起きた。
スルトが……縮んだように見える?
「錯覚ではない。縮んでいるのだ。母上は重力をある程度操る事が出来るからな」
「何でもありだな。重力って……」
遠くからでもスルトの苦悶の表情が見て取れる。重力を操れるんなら相手が浮いてようが何だろうが関係ないんじゃないのか? とか思うが、多分言ってみたところでこれこれこういう理由だって言われるのがオチだろうから黙って見ていることにするか。
(ちょっと……あなた達無茶苦茶だわ、べらぼうに強いじゃないの! こんなにも圧倒出来るならクリガンに無理を言ってまで来てもらわなくてもよかったんじゃないの?)
セリスだ。どうやらまだ気を使ってくれてるらしい。サトゥルヌスは首を振りながらそれに答える。
(今更その問答を蒸し返すのか? 初撃はどうしても打撃に専念できる前衛が必要だったと……)
ゴゴゴゴゴゴゴ……
言うまでもないがサトゥルヌスとセリスの問答などまったく無視して、唐突に地面から地響きが聞こえてきた。
「この地響きもガイアの力か何かなのか?」
「恐らくな。私とて母上のお力の全てを知っているわけでは」
ズガガガガガ!!!
そうだ、言うまでもないな。サトゥルヌスが話している最中だとか、んなこた当然無視して、
ガガガガ! ……グァングァングァン……
もう、なんつーか、降参だ。これが神の闘いだってんなら、頼むから他所でやってくれ。こんなことを続けられたらマイソシアがいくつあっても足りねえ。
ガイアの周りにまるで槍のような(それなりに距離を取ってみてるからそう見えるだけで、目の前で見たら地面から湧き出てきた壁にしか見えないだろう)岩が五つ、大地から伸びてきたと思うと、そのまま上空に浮き上がり、反転して先端がスルトの方に向けられた。空に浮き上がった部分には巨大で深い穴が開いちまっている。一つ一つの矢は全長数十メートルってところだろうが、とにかくやたらとでかすぎて全然正確なところはわからねえ。こんなもんで貫かれたら……。全然想像がつかねえな。せいぜい、プチってつぶれておしまいだろうなって程度しか分からん。
宙に浮いた巨大な岩の槍はガイアとスルトの上でゆっくりと回っている。グァングァンってのはどうやらその槍から響いてきてるらしい。
「素晴らしい……」サトゥルヌスが呟いた。
(なあセリス、オウカ。こいつらどうなってんだよ。サトゥルヌスなんざこれ見て素晴らしいとか言ってるぜ? ……あれ? ……おい、セリス、オウカ?)
何故か二人から全然返事がない、と思ったらサトゥルヌスが気づいたらしい。
「母上が中継していたから話が出来ていただけだ。今は眼前のスルトと自身の御業に集中しておられるから中継は無理なのだろう」
「だったら」
「先に言っておくが私はそのような器用な真似は出来んぞ」
「……ああ、そうですかい……」
視界の中で二つの槍がグラっと動いたかと思うとガイアの声が聞こえてきた。
「後悔するがいい小僧、わらわはフレイとかいう色恋にうつつを抜かして宝剣すら差し出す優男のように甘くはないぞよ?」
そして、先にぐらりと動いた二つの槍の一つが、まるで空間を滑るように滑らかに、先端からは淡い光まで発しながらスルトをめがけて打ち込まれた。
*1: 「わざ」と読む。神通力と同じ。
*2: サトゥルヌス(クロノス)は、親であるウラノスとガイアに「子供に王座を奪われるぞ」と言われ(ガイアはともかく、ウラノスに言われるのはムカツクだろうなぁ)、レアとの間に生まれる子供を片っ端から飲み込んでしまいます。食い散らかすと言うのはスルトが脚色しているのでしょう。なお、子供を片っ端から飲み込まれるレアは六番目の子供を何とか逃がし、クロノスには「これが生まれた子供だ」と言って岩を飲ませます。この無事逃がされた子供とはゼウスの事です。
*3: 大袈裟に言うのは神様達の癖みたいなものだとご理解ください。もう少し書くと、お互いがやたらと高貴な存在なのでちょっとでも相手をリードしようとすると言葉も大袈裟になる、言う必要もないことをべらべらと連ねる、というわけです。


