#01 病室にて [クリガン]
posted by Amadeus at 2007年06月03日 16:38
やたらと疲れて泥のような眠りについた後の目覚め。しかも疲れは全然取れてない。ちょうどそんな感じの目覚めだ。正確に言えば『目覚め』じゃなくて『意識を取り戻した』ってことだがな。意識はあるのに体が所有者の意志を無視して粘土みたいにぐったりしてるあの感じに、今なってる。
(……俺は……どうしたんだ?)
緩慢とした意識の中でつぶやきつつ、辺りをうかがうように、二、三回ぐらいじっくりと見回した。とりあえず今いるのは部屋の中だ。俺以外には誰もいない。全体的に白基調の清潔感のある部屋、俺の右腕にゆっくりと落とされるいくつかの点滴、気持ち上半身部分が上がっているベッド。たとえ意識がはっきりしていなくても、ここがちょっとした病院の病室らしいってことは分かった。だが、少なくとも俺が知ってる病院じゃあなさそうだ。
(なんでこんなとこに……いるんだ?)
ありきたりな自問が頭によぎった瞬間……
――オウカー!!
そう叫んだところをはっきりと思い出した。そうだ、俺とセリスは加護が効いてたからだろうが、スルトが放った纏わり付いてくるような炎に対してある程度抵抗出来ていた。だが、オウカはコリステアを庇うようにしてその場で丸くなり、次の瞬間明らかに炎に焼かれていた……。オウカにも加護が効いていた筈だが、とにかくあれは、どう考えてもただじゃ済まねえ……。
セリスが、俺とオウカ、そして自分自身にファイアダウン*1
を掛けまくってた。俺とセリスは何とかなっていたが、オウカ自身は思いっきり炎に焼かれていた。何とかしなくちゃならない、咄嗟にそう思った。今冷静に考えてみれば、ただでさえ体重がある俺が鎧を纏ってオウカを庇うためにのしかかったらむしろ止めを刺すことになっちまった気もするが、その時は当然そんなことは考えていられなかった。全速でオウカの元に駆け出そうとして……俺は倒れたんだ。なぜか分からないが、急に我慢できないほど息苦しくなり、一切抗う時間すらなく意識が遠のいていった。遠のく意識と強烈な熱の中、何とかして見開いた目に映った最後の光景、それは、明らかに全身が炎に包まれ燃え上がる人の姿だった。あれは一体誰だったのか……。
今の俺は鎧は脱がされ、服も患者服に着替えさせられている。部屋のどこにも鎧と戦鎚が見当たらないところをみると恐らくガイアとサトゥルヌスが回収したんだろう。
ふいに風が頬を撫でた。窓が少しだけ開いていて、カーテンを揺らしながら風が入ってきている。外は明るく、少なくとも夜ではなさそうだ。ということは、最低限数時間は眠っていたことになる。
(オウカとセリスは無事なんだろうか)
そんなことを思い、様子を探るべく起き上がりたいんだが、同時に指一本すら動かすのが億劫でたまらない。恐ろしいまでの疲労感だ。一昼夜ぐらいならぶっ続けで戦ってもここまで疲労したことはないんだが。
「気が付いたか?」
誰もいないはずの部屋で声が聞こえた。普通なら多少なりともびっくりするんだろうが、この乾いた人間とは思えない声なら誰なのかよく知ってるってもんだ。
「いよぅ……骨の旦那……。どこにいるんだい?」
応じて発した俺の声は、俺自身が誰の声なのかと思うほどにしわがれている。実際、喉が渇いているんだろう。左手側の小さなサイドテーブルに水が入ったガラスの器とコップがあるのを見つけ、だるい体に鞭打ちながらそれをガラスの器から飲んだ。
喉の違和感のせいで飲みづらいが、それでもよほど乾いていたのかたっぷり入っていた水を半分ほど一気に飲むと、乾いたスポンジに水が吸い込まれていくみたいに全身が潤っていくような気がする。
水分を取れたことはいいのだが、たったそれだけの動作でどっと疲れを感じ、やっとの思いでガラスの器をサイドテーブルに戻すと、サトゥルヌスが話を続けた。
「お前の足元にいる。ここで姿を現すわけにはいかぬ。分かるであろう?」
「あぁ……なるほど、確かにな。あんたはどっちかっつーと標本室にいたほうがいい。動く標本だぜ? きっと喜んでもらえる。そう思うだろ?」
頭がぼーっとして喉もおかしいが、それでも俺の口は立派なもんで、どんなコンディションでも軽口を言えるように出来てるらしい。
「……それだけ言えれば問題ないな」
「おいおい、ちょっと待ってくれ。俺は一体どうしちまってこんなとこにいるのか教えてくれても罰は当たんねえぜ?」
「何を勘違いしている? 私は罰を当てる側だ……」
「そいつは失礼。で、あの後どうなって俺はここにいるんだ?」
サトゥルヌスは少しの間をおいて話し出したが、それは俺の問いに対する答えじゃなかった。
「気にすることはない、お前のあの戦いに関する記憶は消すのだからな。忘れることを聞いても仕方なかろう?」
「……何?」
「記憶を消すと言ったのだ。始めるぞ」
「お、おい! ちょっと待……ゲホッゲホゲホッ!!」
間髪いれず俺の記憶を消し去ろうとする姿の見えないサトゥルヌスに向かって精一杯の抗議を込めたが、喉の違和感は痛みになって俺の言葉を遮る。
「此度の事を記憶にとどめ置けば必ずや災禍を呼び寄せるは必定。縁なき神名はお前だけではなく周りをも害なし、果ては国難となりて全てを滅ぼす。故に目の前の難事収まりし時は成果のいかんに関わらず此度に関する全ての記憶を消す……。最初からそういう話だったはずだ」
噎せ返る俺に冷たく言い放つサトゥルヌスに、なんとか喉を落ち着かせて言った。
「そりゃ確かにそう……だがよ……」はい、そうですって言うわけにはいかねえ。ようやく掴んだマレッセンの手掛かりまで消されちまったらまた振出に戻っちまう! かといってそんなことを言えば……それこそ既に害の現われだとか何とか言われかねない……。
「せめて……」咄嗟に思いついたことは、辺り障りなく、まずは時間を稼ぐ事。「せめて、オウカとセリスが無事なのかどうかぐらい教えてくれてもいいんじゃないか?」
「それなら案ずるな、我が主人は無事、オウカとかいう小娘は別の部屋で治療をいけている」
「は? 今、主人っつったか? そりゃまさか、セリスのことか?」
「他に誰のことだと思うのだ」
「……お前さ、なんだよその突き放した言い方はよ。一緒に戦った仲だろ?」
「私はある程度腕が立つ戦士の心得がある者なら誰であってもよかったのだ。私から特にお前に頼んだというわけではない。時間がない、始めるぞ」
「いや、だから待てって。せっかちな奴だな。セリスが主人ってのはどういう意味だよ?」
「知る必要は……ふん、話は後だ……」
「何?」
――コンコン
ドアをノックする音が聞こえてきた。なるほど、だから『話は後』ってわけか。
「クリガン・ジーンセクトさん? 入りますよ?」
そう言いながら入ってきたのはおばさんと言った方がよさそうな気持ち背の低い看護婦だ。
「あぁ、やっぱり意識が戻ってたんですね! よかったです、クリガンさん。ご気分はいかがですか?」
俺と目が合うとすぐに愛想良く笑いながらベッドの傍らに寄ってきて点滴の残りの確認やらをしながらそう言った。
「気分か……どうも頭が重い、いや、頭だけじゃない、体全体がひどく疲れてて指一つ動かすのも億劫な感じだ。意識も……ぼーっとする」
「それは仕方ないですクリガンさん、少し深刻な酸欠状態でしたから。あとドクターが言うにはかなり強力な強化魔法を使って、短時間で著しく体に負担をかけたんじゃないかって話でしたねえ。普段なら体の防衛機能が働いて発揮できないような力を発揮したっていうことだと思いますけど、あまり無理するからそういうことになるんですよ。まああと一日ぐらいはだるさは抜けないと思いますし、多分極端な筋肉痛で二、三日は動くのが辛いと思います」
「そうか……今何時だ?」
看護婦は懐中時計を取り出して時間を確認した。
「今は……午前十一時ですね、食事制限は出ていないのでお昼から早速召し上がりますか?」
「……あぁ、そうだな。食欲はないが、何か食わないとな」
「そうです! いい心がけですよー、クリガンさん! じゃ、ちゃんと手配しておきますからね」
そういいながら体温計を俺に手渡し、脈を取り始める。俺は体温計を口に咥え、脈を取られながら漠然と独り言のようにつぶやいた。
「ってことは……最低でも六時間か七時間は寝てたってことになるんだな……」ほんとに独り言のつもりだったんだが、看護婦の耳に入ったらしい。目を丸くして、軽く吹きだすように笑顔になって言った。
「何を言ってるんですか、クリガンさん! 丸一日以上眠りっぱなしだったんですよ? クリガンさんの疲労は数時間で目が覚めるようなものじゃなかったですからねえ」
絶句した。豆鉄砲食らった鳩の気持ちだ。
「何? 丸一日? ゲホッゲホゴホッ! うが、の、喉が……!」
「ああ! クリガンさん大丈夫ですか?! いきなり大声出しちゃ駄目ですよ! ずっと何もしゃべってないんですし、何より喉の方が深刻だったのですから……何をしてらしたのか知りませんけど、ドクターがおっしゃるには高温の空気を吸い込んだんじゃないかと言うことでしたから。軽度とはいえ要するに火傷してるんです」
そう言いながら慌てて俺の背中をさする。ひとしきり咳き込んでとりあえず落ち着いたが喉の痛みは増しやがった。ヒリヒリするというか、辛すぎる飯でも食ったというか、喉の奥まで一ミリ単位で切られてるみたいな嫌な感じだ。
――コンコン
再びドアがノックされ、今度は無言のまま誰かが入ってきた。涙目になりぜぇぜぇ言いながらそっちの方を見ると、白衣の背の高い男だ。医者だろうが、医者というには若く見える。
「やあ、クリガンさん、意識が戻ったんだね、よかった」そして看護婦に言う「あぁ君、バイタルは?」
「はいドクター、脈は正常、体温は……計っている途中ですが」言いながら咽て布団の上に落としちまった体温計を俺の口に咥えさせ、俺の額に手を当てる「……触診では微熱ですね、正確な体温はもう少しお待ちください。あとは……」医者と看護婦はそのままひとしきり俺の症状について話した。
「よし、ちょっと見える分だけ喉を見てみようかと思うんだけど、口を大きくかけられるかい? あ、無理しなくていいから」
言われるがまま、口をゆっくりあけた。少し痛かったが我慢できないほどじゃない。
「まぁ……順調だね、魔法がちゃんと効いてるね」
「ん? 魔法? ってことはここはスオミか?」
「あぁなんだ、それは聞いてなかったのか。そう、ここはスオミの病院だよ、クリガンさん」
魔法での治療は例外なく禁止されているものの、スオミの一部の大病院だけはそれを許しているってことを聞いたことがあったが、魔法の治療を受けたのは初めてだ。
「君は最初ルアスに運び込まれたんだよ。でも君と一緒にルアスに搬送された患者が極めて重篤でね、君はその患者と知り合いってことで一緒にここに運ばれたのさ。まあ、ルアスもそれどころではなかっただろうしね」
「それどころじゃない? ルアスがどうかしたのか?」
「あぁ、大変なことになってるらしい。だが少なくとも今の君が考えるべきなのは自分の体のことだよ。それに、私も君の知り合いを夜通し治療し続けていたから本当はよく分からないんだ」
「そうかい……しかし、オウカは夜通し治療するほどひどいのか? どんな感じなんだ?」
俺は普通にオウカの心配をしてそう聞いただけだったんだが、医者の顔色が目に見えて変わった。
「き、き、君、い……今、オ、オウカって、言ったかい? 言ったよね?」
「は? そりゃ言うだろ。まさか患者の名前も知らなかったのか?」
何を当たり前のことで驚いているんだか分からんが、医者はどんどん青ざめていく。俺と看護婦は何がなんだかさっぱり分からないって感じで目を合わせたていた。医者が素っ頓狂な声を上げて看護婦に指示を出す
「じょ、冗談じゃない! 君! すぐに医局に確認し……な……」だが、最後まで言い終わらないうちに看護婦と医者の顔から生気が抜けた。まるで死んだ魚のような目で立ち尽くしている。
「……? おい、どうしたんだよ? ちょ、もしもし? おい、あんた?」
「クリガン、オウカの名は出すな。どんな訳があるのかは私も知らぬがあの女は偽名を使っている。サナリアという名だ。気をつけろ」
またしても姿のないサトゥルヌスの声が聞こえてきた。
「なんで偽名なんだよ?」
「知らぬといったはずだ。今その二人の極々短期の記憶を消した。そら、二人の意識が戻るぞ」
サトゥルヌスがそう言った途端にとろんとした二人の目が普通に戻った。きょろきょろと辺りを見回している。
「……大丈夫かい? 働きすぎなんじゃないか?」とりあえず声を掛けると何が何だかというような表情を向けてきたが、すぐに照れ隠しの作り笑いを浮かべて言った。
「あ、いや、えっと……すいません、大丈夫ですよ。えーっと、何でしたっけ? クリガンさん」
「あぁ、サナリアの容態はそんなにひどいのか?」
ついさっき聞いたオウカの偽名で聞くと、医者は「ああ」というように頷いた。
「はいはい、一緒に運ばれたあなたのお知り合いの方ね。彼女の容態は……極めて深刻です。全身とまでは言いませんが極めて広範囲に大火傷を負っています。こう言っては申し訳ないが、あくまでも客観論として、普通なら既に亡くなっていても不思議ではありません。現在集中魔術治療室にて二十四時間体制で治療を行っておりますが、あそこまで酷いとどこから手をつけていいものやらというほどで……もちろん全力を尽くしていますけどね、正直なところ望みは薄いです。治療云々よりも彼女がどちらの岸を選ぶのかにかかっているという状態ですよ。選べる状態ならば、ですが……。ともかく私達は最悪の事態だけは避けるべく治療に当たっておりますが、どうかクリガンさんもお知り合いとしてイア神に祈ってあげてください」
「そんなに酷いのか……じゃあ、俺なんかマシなほうだな」
「ええ、彼女に比べれば無駄に健康すぎるほどです」笑顔でさらりと言ってのける医者。適当に笑顔を返すが多分苦笑いになってるな。
「そういうわけで、経過確認の為に今日一日はここでゆっくりしてください。恐らく明日には退院ですよ」
「そうかい」
「ええ、それでは失礼しますよ」医者はそういって看護婦にも目で合図して部屋を出て行こうとした。俺はそこでふと思い出した。
「あ、先生待ってくれ。運び込まれたのは俺とオウ……サナリアの二人だけか?」
「ええ、そうですよ。それが何か?」
「えーっと……」俺はオウカの親父さんのこととかセリスの事を聞こうと思ったが、やめておくことにした。オウカ以外にもNGワードがあるかも知れねえからな。「飯は十二時か?」
看護婦がクスクスと笑いながら「ええ、そうですよ」と答え、軽く会釈して医者と共に部屋を出て行った。
扉が閉まるのを確認してからどこに向かってともなくおもむろに言う。
「なあ、オウカの親父さんはどうなったんだ?」
当然サトゥルヌスに問いかけたつもりだが、答えは返ってこない。
「おい、いるんだろう? サトゥルヌス……」まさか問答無用で記憶を消すつもりか? と思い焦っていると、
「客だぞ」サトゥルヌスが囁く様な声でそう言った。そして再び、
――コンコン
ノックの音だ。今度は誰だ?
「どうぞ」と答えるよりも早く扉は開かれた。こっちの意思無視ならノックしなくてもいいじゃねえか、と思ったのはほんの一瞬だ。
「あなた……」
入ってきたのは妻とベビーカーで眠っている息子だった。
「ああ、マチルダか」
「……ああ、マチルダか、じゃないわ……」
俺と目が合った瞬間から肩を小さく震わせている。後ろ手に扉を閉めベッドの傍らにベビーカーを押しながら近づいてくる。ベッドの右側にベビーカーをそっと止め、今度はベッドの頭の方を周って左手に移動する。
「どれだけ……心配したと思ってるのよ……」
目にうっすらと涙を浮かべ、今にも大泣きしそうな顔で俺を見ながらそこにあった椅子に腰掛ける。目の下には隈が出来ている。
「寝てないのか?」
「……少し、寝たわ。ここでね。オーフェンがぐずりだしたから少し外に行ってたの……」
「そうか……。悪かったな、心配させちまった」
「ほんとに……。本当にそのとおりよ。もう二度と……もう二度とこんな……」
「あぁ、分かってるさ、今回はたまたま相手が悪かっただけさ。もうこんなヘマはしねえよ」
マチルダは俺の頬を懐かしむように撫でて、その手をそのまま俺の手に滑らせた。そして、吐き出すように言った
「……よかった……」
そのまま布団に突っ伏して泣き出した。俺は落ち着かせるように精一杯の優しさをこめて左手でマチルダの髪を撫でた。しばらくそのままにしていたが、どうやら落ち着いたらしいマチルダが顔を上げた。布団が涙で濡れている。その涙をみると、なんとなくいろんな意味で罪悪感のようなものを感じなくもない。マチルダは俺がそう思ったのが分かっているのかと思うほどのことを言い出した。
「ねえ、もうあの女とは関わらないで」
誰のことを言っているのかは直感でわかっているが、あえて言った。
「……あの女? セリスのことか?」
「ええ。昔からの知り合いなのは分かるけど……こんなことに巻き込むような人だとは思わなかったわ」
「それは違うマチルダ。確かに話を持ってきたのはあいつだが、助力に応じたのは俺の判断……」マチルダは強く俺の言葉を遮った
「そりゃあなたはそうするでしょうね! でも、あなたが出かけてすぐに非常事態宣言が出て、おまけに、あなたに登城命令が出たのに連絡が取れないって騎士団が家にまで来た……。どこに行ったのかってしつこく聞かれたわ。まるで尋問みたいにね。でも、あなたはどこにいくとは言わずに出かけたから……。とても心配したわ。それに、あなたが出かけたのと非常事態宣言が無関係だとも思えなかったし、実際そうなんでしょう? ……何があったのかって詮索するつもりはないけど、危険なことはしないで。オーフェンだっているのよ?」
「だから、さっきも言っただろう? もうヘマはしないってよ」
「それだけじゃないわ。……知らないとでも思ってるの? あの女との事……」
「……何がだ?」
「とぼけないで……。あなたが外で何をしていようと家に持ち込まない限り何も言わないわ。でも、あの女だけはやめて……。お願い……」
「……何を言いたいのか分からんが、なんでそんなにセリスを目の敵にしてるんだ? 確かに昔からの付き合いだし、男と女の関係を持ってたこともあるさ。だが、今はお前と家庭を持って」
「お願いだから!!」
思いつめるような、いや、睨み付けるような眼差しが俺の眼を射抜く。何故セリスに対してだけそんなことを言うのかは分からないが、少なくともマチルダがセリスに対して何らかの感情を持っていることだけは分かる。それも憎しみとかそういう類のもんだろう……。一体何故だ? 浮気がばれてる事はこっちだってとっくに分かっていたが、家に帰ればいつもどおりの家庭にいつもどおりのマチルダがいた。俺はマチルダはそういう女なんだと思っていた……。何故突然、はっきりと否定の意思を示したのか? どう答えたらいいものかと迷い、すぐには何も言えなかった。辛うじてありきたりのことを言うのが精一杯だった。
「すぐにどうこうってわけにはいかないさ、何せ同じギルドだし同じパーティーだからな。だが、分かった、よく考えるさ。しかし……、なあマチルダ、理由を説明してくれれば俺ももっとはっきりとしたことを言えるんだがな?」
マチルダは視線を外して押し黙るだけだった。その仕草が原因というわけじゃないが、何故か急に疲れを感じた。実際体がだるくてもう一眠りした方がよさそうだとはさっきから思っている。
「なあマチルダ、悪いがまだ体がだるくてな……少し、寝るよ。昼飯があるらしいから来たら起こしてくれ」
「……ええ」
「それから、俺が寝てる間、ずっとそこにいてくれないか?」
俺がそういった途端、頭に声が聞こえてきた。
(貴様! 記憶を消させぬつもりか?!)
(別に強行に消させないとは言わないが、頼むからまだ待ってくれ……。後で少し、話をしよう、サトゥルヌス)
サトゥルヌスはそれに対してなにも答えず、マチルダが俺のさっきの頼みに答えた。
「わかったわ。ちゃんとここにいるから、安心して」
「あぁ」
そして眼を閉じた。閉じた眼を再び開ける気力すらないし開けるつもりもないんだが、困ったことにすぐには眠れなかった。体は眠りにつこうとしてるんだが、頭の中では釈然としないマチルダとセリスの事がぐるぐると巡っていた。意思に反してああでもないこうでもないと考えは巡り、しばらく悶々としていた。不快感とすら言えるだろう。だが、それでもなんとか眠りたいと思いじっとしていると、サトゥルヌスの声が頭に聞こえてきた。
(声は出すな)
(分かってる。どうしたんだ?)
(お前が察しているとおり、長時間の記憶を消す術は術の対象者以外の者がいないときでないと施せぬからな、暇つぶしに一つ教えてやろう)
(……何をだ?)
(気になって眠れぬようだからな。おぬしの伴侶が我が主人を忌み嫌い遠ざけようとする理由だ)
少しぐらっときた。少し、じゃないな。かなり聞きたい内容だ。だが……すぐに答えた。
(そういうズルはしちゃいけねえ。これは俺達夫婦の、或いは俺達夫婦とセリスの問題だと思うからさ。あんたにどうこうしてもらうような問題じゃない)
(ほう? 殊勝な心がけだな。であればそれ以上考えずに休むといい。一人で考えても詮無きことは考えぬに限る。違うか?)
「ふっ……それもそうだな……」
「え? あなた、何か言った?」
「いんやあ……別に? 何か聞こえたんなら、多分寝言だよ」
「そう」
それっきり、サトゥルヌスの言うとおりってわけじゃないが、今はこれ以上何も考えないようした。そう思うだけで本当に何も考えずにすむほど単純な話じゃないが、それでも少し気が楽になったのか、あるいは看護婦の言うとおり疲労がかなり蓄積されてるのか、とにかく俺はすぐに眠りに落ちた。


